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純文学に学ぶ、“片思い”の終わらせ方【文学恋愛講座#8】

長く続けば続くほど、苦しさが増す“片思い”。今回の「文学恋愛講座」では、叶わなかった恋心をうまく昇華させた人物が登場する純文学作品を例に挙げながら、そんな“片思い”の終わらせ方について考察します。

片思いアイキャッチ

いったい、他人のために、その最大の喜びや、その底知れぬ悲しみの、唯一無二の源泉になったり、またはそれらの、絶対至上にして無責任な原因になったりするのは、快いものであるが、全く私は、ジナイーダの手にかかったが最後、まるでぐにゃぐにゃな蝋みたいなものだったのだ。
──ツルゲーネフ『はつ恋』より

相手のことが気になってたまらず、四六時中その人のことを考えては、報われない思いに身悶えする……。一度でもそんな「片思い」に苦しんだ経験のある方は、きっと多いことでしょう。好きな人の些細な言動に一喜一憂するさまは、他人から見ればまさに“ぐにゃぐにゃな蝋”そのもの。恋の魔力は、文字通り人を骨抜きにしてしまうのです。

当然ですが、あまりに強烈な片思いは、とても辛く苦しいものです。中には、長年の片思いからそろそろ解き放たれて自由になりたい、と思っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

今回の「文学恋愛講座」ではそんな読者のため、叶わなかった恋心をうまく昇華させた人物が登場する純文学作品を例に挙げながら、片思いの終わらせ方について考察します。

【ケース1】親友に恋で完敗したら、どう立ち直るか──武者小路実篤『友情』

友情
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【あらすじ】
脚本家の野島は、友人の妹・杉子に恋をしている。野島は、親友であり、物書きとしてよきライバルでもある大宮と2人で頻繁に杉子の家を訪れていた。しかし、大宮が海外へ旅立ったことをきっかけに、3人はあまり会わなくなる。野島は思い切って杉子にプロポーズをするが断られ、杉子は突如、大宮の後を追うように海外へ旅立ち……。

最初にご紹介するのは、三角関係を描いた文学の金字塔とも言える、武者小路実篤『友情』です。この作品の中で主人公・野島は、一貫して友人の妹の杉子に盲目的なまでの片思いをしています。

何処にこんなに無垢な美しい清い、思いやりのある、愛らしい女がいるか。神は自分にこの女を与えようとしているのだ

新聞を見ても、雑誌を見ても、本を見ても、杉という字が目についた。そして目につくとはっとした。しかし彼はまだ殆んど杉子とは一言も言葉を交さなかった。

本人どころか、「杉」という文字を見るだけで意識してしまうほどの強烈な恋。しかし、杉子は自分をまるで女神のように崇め、その人間的な本質を見ようとしない野島ではなく、杉子を特別扱いしない野島の親友・大宮のほうに強く惹かれていきます。

やがて野島は、“俺は全世界を失ってもお前を失いたくない”という大胆な言葉で愛を告白した大宮に、あっさりと杉子を奪われてしまうのです。好きな人と親友とを同時に失った野島が“片思い”を終わらせるべくとった行動は、野島に対しこんな手紙を書くことでした。

君よ、仕事の上で決闘しよう。

死んでも君達には同情してもらいたくない。僕は一人で耐える。そしてその淋しさから何かを生む。(中略)君よ、僕のことは心配しないでくれ、傷ついても僕は僕だ。

“仕事の上で決闘しよう”。つまり、野島は“恋”というフィールドで永遠のライバルに勝つことを諦め、“仕事”という別のフィールドで闘うことを提案したのです。
これは、非常に誠実かつ真似しやすい恋の終わらせ方と言えます。信頼していた友人に好きな人をとられたら、どちらの顔も二度と見たくないというのが本音だと思いますが、仕事や学問といった別のフィールドで相手を打ち負かそうという目標を持つことは、辛い恋を忘れるのに強い力を発揮するはずです。
そして、一度その目標に没頭さえしてしまえば、時間はかかっても失恋の痛みは薄れていくでしょう。

【ケース2】誰にも言えないならば、いっそどこまでもみっともなく──田山花袋『蒲団』

蒲団
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【あらすじ】
妻子ある作家・竹中時雄のもとに、芳子という女学生が弟子入りしてくる。時雄は密かに芳子に心惹かれてゆくが、芳子の恋人である秀夫も芳子を追って上京し……。

片思いには2種類あります。それは、人に言える恋言えない恋。前者であれば辛いときには友人に相談を持ちかけたり、SNSで愚痴のひとつも言ったりすることができますが、大人の恋愛にはどうしても後者が多いもの。
そんな“人に言えない片思い”を諦めるときにひとつの参考になるのが、自然主義文学の先駆けである、田山花袋『蒲団』です。

主人公の竹中時雄は、いまをときめく小説家です。“美文的小説を書いて、多少世間に聞えておった”時雄のもとには日々、ファンレターや弟子入り志望の若者からの手紙が届くのでした。
時雄は弟子入りを強く望む芳子という女学生を迎え入れると、妻も子もいる立場でありながら、やがて彼女に淡い恋心を抱いてしまいます。

しかしながら、ハイカラで文学の才能もある芳子には当然と言うべきか、秀夫という若い恋人がいました。芳子と秀夫の関係が進んでいることに思い至った時雄は、怒って芳子を破門にします。家から芳子を追い出した直後に時雄がとった行動が、かの有名なラストシーンです。

大きな柳行李が三箇細引で送るばかりに絡げてあって、その向うに、芳子が常に用いていた蒲団――萌黄唐草の敷蒲団と、線の厚く入った同じ模様の夜着とが重ねられてあった。時雄はそれを引出した。女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。夜着の襟の天鵞絨びろうどの際立って汚れているのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。

「露悪的」「気持ち悪い」とも言われることの多いこの結末ですが、果たして本当にそうでしょうか。淡い恋の終わりを誰にも吐露せず、酒や代わりの恋に溺れることもせず、みっともなくも“匂いを嗅ぐ”ことで自分の気持ちに整理をつけようとしている時雄の態度は、著名な作家の振る舞いとしてはある種の誠実さすら感じるものです。

五感の中で、最も強く過去の記憶を呼び覚ましやすいものは嗅覚だという説があります。時雄は失恋後、折に触れて“匂い”をきっかけに芳子のことを思い出しますが、いわばそれは仕方のないこと。逆に言えば、好きだった人の香水やシャンプーを手元に置き、時折懐かしくその香りを思い出すことくらいは、人に言えない恋をしていた人にも許される振る舞いであってほしい、と考えてしまいます。

【ケース3】恋の情熱を金魚への情熱に転化する──岡本かの子『金魚撩乱』

金魚撩乱
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【あらすじ】
魚屋の息子である復一は、金魚の改良に日々熱中している。復一は家からほど近い崖上の邸宅に住む真佐子に次第に惹かれていくが、真佐子は令嬢として美しく、自分から遠い存在として成長してゆく。復一の目標はいつしか、人生を賭けて真佐子のような美しい金魚を創り出すことになっていき……。

小説家・歌人であり、芸術家・岡本太郎の母親としても有名な岡本かの子の代表作に『金魚撩乱』があります。魚屋の息子の主人公・復一が身分の違う美しい令嬢・真佐子に恋をし、彼女を自分のものにできなかった後悔と執念から、“究極の金魚”を創造することに生涯を賭けてゆく──という物語です。

叶わぬ恋のエネルギーを“仕事”に向ける、という意味では『友情』とも似たケースですが、復一はとにかく、真佐子を彷彿とさせるような金魚を創ることにこだわり続けます。

彼の望む美魚はどうしても童女型の稚純を胴にしてそれに絢爛やら媚色やらを加えねばならなかった。そして、これには原種の蘭鋳より仕立て上げる以外に、その感じの胴を持った金魚はない。復一のこころに、真佐子の子供のときの蘭鋳に似た稚純な姿が思い出された。

理想とする“美魚”を思い描くと、どうしてもセットで真佐子の姿が思い浮かんでしまう復一。彼は自分でそれを悔しく感じながらも、叶わなかった恋心をエンジンにするかのように、昼夜を問わず金魚の勾配に励むのでした。しかし、ある日ついにできあがった理想の金魚は、復一の想像を超える姿をしていました。

「ああ、真佐子にも、神魚華鬘之図にも似てない……それよりも……それよりも……もっと美しい金魚だ、金魚だ」

最終的に彼が創り上げた究極の美魚は、真佐子に似ていなかったのです。その姿を見たときに復一が感じた“意識して求める方向に求めるものを得ず、思い捨てて放擲ほうてきした過去や思わぬ岐路から、突兀とっこつとして与えられる人生の不思議さ”は、この物語から私たちが片思いについて学べる最大の教訓かもしれません。つまり、叶わぬ恋へのエネルギーをまったく別の方向へ全力で向け続ければ、いつしかその分野で大成功を収めることもありうるのです。

【ケース4】“妄想”の中だけで恋を成就させる──武者小路実篤『お目出たき人』、綿矢りさ『勝手にふるえてろ』

お目出たき人
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【あらすじ】
20代半ばの「自分」は、近所に住む鶴という女学生に恋をしている。「自分」は一度も鶴と言葉を交わしたことがないが、いつか彼女と結ばれると強く信じ続けている。「自分」は次第に、空想の中で鶴を理想の女に近づけていく。

文学作品の中には、決して実らない恋を“妄想”の中だけで成就させる、というケースもあります。──『友情』に続き2度目の登場となる武者小路実篤は、片思い文学の名手と言っても過言ではありません。『お目出たき人』では、一度も言葉を交わしたことのない女学生に恋心を募らせ続け、しまいには求婚を3度も断られてしまう主人公を描いています。

自分は女に、餓えている。この餓えを自分は、ある美しい娘が十二分に癒してくれるものと、信じて疑わない。

こんな独白から始まる『お目出たき人』。「自分」は、鶴という女学生に一目惚れをし、鶴の外見しか知らないにもかかわらず、次第に「自分は鶴と結婚する」という確信を強めていきます。「自分」は鶴の通う女学校の近くをうろつくといったストーカーめいたことをしながら、頭の中で勝手に理想の“鶴”像を創り上げていくのです。

自然の命令、自然の深い神秘な黙示があるのではないかと思ふ。この黙示は
『汝、彼女と結婚せよ、汝の仕事は彼女によつて最大の助手を得ん。さうして汝等の子孫には自然の寵児が生れるであらう』
と云ふのだ。

「自分」は“自然の深い神秘な黙示”というなんともスピリチュアルな理由から、鶴に求婚を3度も断られ、鶴が女学校を卒業し結婚してしまっても、最終的には自分が鶴と結婚できるという考えを曲げないのです。

……翻って現代文学の中にも、“妄想上の恋愛の成就”を描いた作品はあります。2017年に映画化された綿矢りさ『勝手にふるえてろ』も、妄想の中で恋心を募らせ続ける主人公の姿を描いた作品です。

勝手にふるえてろ
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【あらすじ】
20代OLの良香は、中学生の頃から思いを寄せている“イチ”と、自分に告白してきた同僚の“二”との間で揺れている。良香は妄想の中だけでイチと交際をし、二を交えた想像上の三角関係を楽しんでいる……。

主人公のOL良香は、中学校の同級生であったイチに10年以上の間、片思いをしています。良香は恋愛経験が乏しく、イチとろくに交流もしたことがないものの、勝手に彼を“脳内彼氏”に仕立て上げ、交際しているという妄想を繰り広げるのです。

『お目出たき人』と違い、『勝手にふるえてろ』の妄想恋愛は、きちんと終わりを迎えます。良香は彼氏であったはずのイチにある日、「名前、なんだっけ?」と聞かれ、愛する人に現実では名前も覚えられていなかったという事実を受け止めて絶望するのです。

しかし逆に言えば、『お目出たき人』のように、愛する人と直接コミュニケーションをとらずにい続けることができれば、“妄想恋愛”は続きます。現実の好きな人に向き合って片思いを誠実に終わらせるか、あるいは妄想の中だけで永遠に偽りの“両思い”を続けるかは、恋に悩む当人の判断のみに委ねられている、ということでしょう。

おわりに

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今回ご紹介した作品の「片思いの終わらせ方」は、どれも少々トリッキーな方法だったかもしれません。しかし、思いきり泣くことでストレスを発散したり、友人に相談することで気持ちを軽くする……といった正攻法の「終わらせ方」では恋を諦められない方も、中にはいらっしゃると思います。

純文学作品には、よくも悪くも執着心が強く、なかなか好きな相手を忘れられない人物ばかりが登場します。時にはそんな主人公たちの格好悪さや人間臭さこそが、恋に苦しむ方に寄り添い、力を与えてくれるはず。終わらせたい「片思い」がある方は、今回ご紹介した純文学作品を手にとり、登場人物たちの生きざまに自分を重ねてみてはいかがでしょうか。

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