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女性の生と性を真摯に描く 窪美澄おすすめ4選

2011年、『ふがいない僕は空を見た』で第24回山本周五郎賞を受賞した窪美澄は、苦しい境遇の女性に寄り添い、女性の性愛を正面から描くことで定評のある作家です。そんな著者のおすすめ小説4選を紹介します。

あかより赤く 高岡しょうの生涯』――12歳で舞妓見習いに出され、花柳界、女優、社長夫人と波乱万丈な人生を歩み、38歳で出家した実在人物の激動の半生を綴る


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 ときは明治。私生児として生まれたみつは、生後すぐに母と死別し、12歳のとき実の父にだまされるように大阪の置屋に売られます。初潮を迎える前に、訳も分からずお客と肉体関係を強要され、その年にしてすでに、自分の体と人生は、自分のものではないと諦念の境地に至りました。14歳のとき、みつの旦那になろうとしてくれた男から、「しょせんは売女ばいた」とののしられたみつは、身の潔白を証明するため、ある行動に出ます。

誰かの三味線が畳に放り出されています。剃刀かみそりで糸を2本切ると、鈍い音が部屋に響きました。2本の糸を左の小指に巻き付けました。みるみるうちに、小指の先は紫色に膨れていきます。洗面台の上に剃刀の刃を天井に向け、その上に小指を置きました。右手の拳で小指のあたりを思い切り叩きつけました。一度だけでなく二度、三度。とどめをさすように、拳を叩きつけました。その瞬間、真っ赤で小さな肉の塊が、洗面台の白い陶器の上に転がっていきました。
「わての一番大事なもんや。どうかもらっておくれやす」

 少女が、文字通り「指切り」をしたことは、人々を驚かせ新聞沙汰にまでなりました。その後、みつは、東京で半ば見世物のような芸妓になり、贔屓のお客に身受けされて妾になり、その男性との関係が途絶えると、別の男性の正妻になります。元芸妓ということで、常に蔑まれる、みつ。そんなみつの心が解放されるのは、本を読んだり日記をつけたりするときだけでした。やがて、みつは、横暴な夫のもとから独立し、筆一本で生きて行こうと考えます。女性性を売りにしてきた彼女が、剃髪ていはつして出家を決意するまでにはどんな経緯があったのでしょうか。
 一度乗ったら途中で降りられないジェットコースターのようなみつの半世紀として楽しめるとともに、明治から昭和のフェミニズム史としても読みごたえがあります。

『やめるときも、すこやかなるときも』――高齢処女と、死んだ彼女が忘れられない男。2人が寄り添って生きるまでを丁寧につむぎだす


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 桜子は32歳の会社員。この年まで男性経験がないことを人知れず悩んでいます。

私が結婚という出来事にいちばん近づいたのは3年前のことだ。私だけがそう思っていたのかもしれないが。(中略)実際のところ挿入寸前までいったのだ。けれど、死ぬほど痛くてぎゃあぎゃあとわめく私を上から見つめて広瀬さん(彼)は言った。
「ねぇ……もしかして初めて、なの?」
29歳の処女というものを目の前にして男の人がどういう反応をするのか私には予想もつかなかったが、広瀬さんがその事実をうれしがっていないということは表情を見ていてわかった。(中略)あのときの痛みを想像すると私は恐怖にかられた。もしかして処女膜というものは年齢を重ねるごとに強靭きょうじんになっていくものだろうか。老化か? それとも自分の体に不備が? 私はこっそり婦人科を受診した。

 彼から、「重い」と言われて振られても、桜子は失恋の余韻に浸る余裕もありません。それは、会社が倒産した両親に代わって家計を支えているからです。桜子は、ある日、仕事を通じて同年齢の家具職人・いちはるに出会います。壱晴は、過去にトラウマを抱えていました。

それが最初に起こったのは大学に入った年のことだった。最初は単なる風邪だと思った。耳鼻咽喉科を受診すると喉や声帯には異常はなく、精神的なものかもしれないと言われた。(友人の)妙子に強引に連れて行かれた心療内科で医師は僕の体に起こる症状を「記念日反応」だと言った。記念日? 僕にとってあの日が記念日であるはずがない。けれどある特定の時期に起こる身体症状をそう呼ぶのだと医師は言った。(声が出ない時期は)1年間のうち1週間程度のことだ。いつかは治るかもしれないと曖昧なことを言われ、その症状を抱えながら今まで生きてきた。

 結婚をあきらめている不器用な2人が少しずつ距離を縮めていく様子が描かれるなかで、やがて壱晴の過去も明らかになります。
「やめるときも、すこやかなるときも」とは、結婚式の誓いのときのフレーズとして形骸化し、ときに陳腐にも思える言葉ですが、本作では、一度は結婚をあきらめた2人が互いの欠落を埋めるようにして生きて行くことを意識する過程において、切実な響きをもって伝わってくるといえるでしょう。

『じっと手をみる』――地方で介護士をする女子が、東京から取材に来た「混じりあうことのない」男性と出会って


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 日奈は、地方の介護福祉専門学校を卒業し、地元の特別養護老人ホームで働く23歳。教師の、「介護の仕事は時代の要請もあり、国も給料を上げる」という言葉を頼りに就職するも、日々、高齢者のオムツ替えに吐しゃ物の始末、入浴介助の際に、「萎びた野菜のような」利用者の陰部を洗浄するなどを繰り返すうちに、食欲がわかない日もあるようです。

「介護士なんて仕事、私には絶対にできない」
そういう言葉を聞いたことがないわけではない。家族に面と向かってそういう言葉を放つ人を何度も見てきた。私だって仕事をしながらそう思ったことはある。けれど、介護の仕事に携わる時間が長くなるほど、生の終わりの決定権を誰一人持っていないことを思い知らされる。自分の仕事は、死を看取るのではなく、死までの長い時間にほんの少し寄り添うことだけだ。この仕事があまり人に好まれていないこともわかっている。けれど、自分にできることはこれしかない。

 日奈の唯一の楽しみは、休日にショッピングモールに行くことだけ。そんなある日、パンフレット作成のため、職場に、東京から編集プロダクションの宮澤という男性がやって来ます。医師の父を持ち、幼稚園からエスカレーター式で進学し、大学在学中に起業して、似たような育ちの妻と結婚した宮澤は、田舎の介護士を、「あの子たちは一生、あそこから出られない」と、初めは見くびっています。ところが、ひょんなことから日奈と宮澤が関係を持つと、それが予想外の「化学反応」を起こすことになるのです。
 本作においては、介護職の抱える問題も読みどころのひとつ。高齢男性からセクハラされることなど想定内でこの仕事に就くべきだ、と割り切って考えている女性介護士がいるために、セクハラが蔓延していること。夜勤時に、いつも看護師が詰めているわけではなく、夜中に急変した入居者への対応の悪さを、介護士のせいにされてしまうこと。超高齢化社会と格差社会を考えさせられる1冊です。

『水やりはいつも深夜だけど』――窒息しそうなママ友社会でもがく女性たちの姿とは


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「私」は30歳、5歳の幼稚園児を育てる専業主婦。子どもの通う幼稚園は、都内の一等地にあり、「教育にはお金を湯水のように使うのを善だ」と信じ、PTA活動にも熱心なママ友たちに囲まれて過ごしています。もともと「私」は、閉塞的な田舎の出身で、その地域では賢く容姿も整っていたために、ずっと女子からいじめられていました。女の集団は苦手と自覚する「私」は、ママ友社会では同じ轍を踏まないようにしようと必死です。

女たちに嫌われない練習をする必要があった。嫌われない女、ほかのママたちに嫌われないママのイメージ、その輪郭を私はネットから学んだ。多くは芸能人のブログだった。ファッション、メイク、食事。何を言えば好かれるのか、何を見せれば嫌われるのか、私は彼女たちがアップする写真や言葉を学習し続けた。

 入園式に全身シャネルで決めてきたママが、即刻嫌われ者になったのを見て、服装は、一見高いのか安いのか分からないよう工夫したり、スーパーで買い物かごの中まで詮索されるのを避けるため、わざわざママ友が少ない店に行ったり、世間話で時間を潰すのは嫌いなのに、無理してランチ会に参加したりと、息が詰まる毎日です。有名大学を卒業していることをひけらかさず、気さくな自分を演出していたのに、ある時、ママ友達が、自分のことを「とっつきにくい」と噂しているのを聞き、傷つく「私」。例えば、息子が友達の家に遊びに行ったときの手土産は、手作りか市販の菓子かどちらがよいのか。「お宅のようにきれいな家に、うちの子がお邪魔して汚したら悪いから」と言われたら、どう答えるのがベターなのか。正解のないママ友づきあいに悩む人なら共感必至の1冊でしょう。

おわりに

 女性蔑視や貧困、陰湿ないじめなど、女性を取り巻くあらゆる不幸から目をそらさずに向き合う窪美澄の小説は、決して明るいものではありません。けれど、現状が100%幸福な人には、そもそも小説は必要ないのではないでしょうか。著者の小説は、ラストでは必ずほのかな希望の光が差し、救われる読者は少なくないでしょう。

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