本との偶然の出会いをWEB上でも

時間がなきゃ読めない、「超長いけど面白い」小説セレクション

外出自粛の生活が続く中、家の中での時間を持て余し気味という方もいるのではないでしょうか。今回は、たっぷり時間があるときにこそ読みたい、「超長いけど面白い」小説を3作品ご紹介します。

いま、出社禁止や休業、外出自粛の要請を受け、図らずも人生で経験したことがないほど長い休暇の真っ只中にいる──という方は多いのではないでしょうか。

もちろん、仕事がなくなったり経済的に困窮したりと、休みどころではない状況に立たされている方もたくさんいらっしゃるはずです。しかし現状、読書家の方にとって唯一プラスになることがあるとすれば、(少し乱暴かもしれませんが)「いつかは読んでみたいと思いつつ、なかなか手が出せなかった本」を一気読みできる時間が生まれたということかもしれません。

今回は、普段ならば挫折してしまうような長大な作品をこの機会に読んでみたいという方に向け、「超長いけど面白い」海外の長編小説や日本のシリーズ小説のおすすめ作品をご紹介します。

『失われた時を求めて』(プルースト)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4003751094/

20世紀を代表するフランスの小説家、マルセル・プルースト『失われた時を求めて』は、原文にして3000ページ以上、翻訳本では約5000ページもの長さを誇る超大作です。プルーストがその半生をかけて書き続けた本作は20世紀文学の金字塔と呼ばれることも多く、読書好きの方であればその名前を一度は必ず聞いたことがある作品のはず。しかし、全巻を読破しているという方は限りなく少ないのではないでしょうか。

『失われた時を求めて』は全7篇(7巻)から成る、プルーストの自伝的小説です。19世紀末から20世紀初頭のパリを舞台とする本作の主人公は、ブルジョアの家庭に生まれた「私」という男性。「私」は、本作の第1篇にあたる『スワン家のほうへ』の中で、マドレーヌを浸した紅茶をふと口に含んだことをきっかけに、生まれ育った田舎町コンブレーで味わったマドレーヌの味と、子どもの頃の幸せな記憶を思い出します。

今や家の庭にあるすべての花、スワン氏の庭園の花、ヴィヴォンヌ川の睡蓮、善良な村人たちとそのささやかな住まい、教会、全コンブレーとその周辺、これらすべてががっしりと形をなし、町も庭も、私の一杯のお茶からとび出してきたのだ。

古い過去から、人間の死後、事物の破壊後、何一つ残るものがなくなるときも、ただ匂いと味だけは、もっともごくか弱くはあるが、それだけ根強く、非物質的に、執拗に、忠実に、なお長い間かわることなく、魂のように残っていて、あの追憶の膨大な建築を、他のすべてのものの廃墟のうえに、喚起し、期待し、希望し、匂いと味の極微の雫のうえに、しっかと支えるのだ。

たとえば、学生時代によく聴いていた音楽をふと耳にして、当時の思い出がつい最近のできごとのように鮮やかに蘇ってきた──という経験をしたことのある方は多いはず。プルーストはこのように、味や匂い、音などをきっかけとして自分の身体に突如蘇ってくるような記憶のことを「無意志的記憶」と呼びます。本作にはこの「無意志的記憶」のエピソードやさまざまな方向に脱線してゆく比喩・記憶が散りばめられ、小説全体を通して「無意志的記憶」を呼び起こすような緻密な構成となっています。

ストーリーのひとつの軸になっているのは「私」とアルベルチーヌという女性との恋愛ですが、時代によって入れ替わる登場人物の数は膨大で、最初は人物同士の関係を把握するだけでも骨が折れるかもしれません。岩波文庫版では第1篇の巻頭に登場人物一覧や関連地図が記載されているので、「この人誰だっけ?」と感じたときには登場人物一覧を見返しながら読み進めていくのがおすすめです。テーマの掴みにくい、長大かつ難解な小説ではありますが、読破したときの達成感と爽快感はひとしおです。

『ジャン・クリストフ』(ロマン・ローラン)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4002010708/

『ジャン・クリストフ』は、フランスの小説家、ロマン・ローランが1903年から1912年にかけて雑誌上で発表した長編小説です。ロマン・ローランは、この作品でノーベル文学賞を受賞しました。大河小説の先駆けである本作は、ドイツに生まれやがてパリで名を成すジャン・クリストフという名のひとりの音楽家の生涯を描いています。

本作は全10巻から成りますが、第1巻から第3巻では、クリストフの苦難に満ちた幼年期と青年期が綴られます。宮廷音楽家であった父はクリストフをモーツァルトのような神童として育てようとし、厳しいレッスンを経てやがてピアノの才を得たクリストフは、子どもながらもオーケストラの一員として働き家計を助けるようになります。

しかし、クリストフは父の死や二度の失恋を経てすっかり自分を見失い、酒浸りの青年期を送るようになってしまいます。そんな中で彼の人生を上向かせてくれたのが、心優しい叔父・ゴットフリートとの交流でした。
第3巻の最後で、“僕はなんの役にもたたない”と絶望するクリストフに対し、ゴットフリートはこんな言葉をかけます。

「日の出にたいして、信心深くなければいけない。一年後のことを、十年後のことを、考えてはいけない。今日のことを考えるんだよ。理屈を捨ててしまうがいい。理屈はみんな、いいかね、たとい道徳の理屈でも、よくないものだ、馬鹿げたものだ、害になるものだ。生活に無理をしてはいけない。今日に生きるのだ。その日その日にたいして信心深くしてるのだ。その日その日を愛し、尊敬し、ことにそれを凋ませず、花を咲かすのを邪魔しないことだ。今日のようにどんよりした陰気な一日でも、それを愛するのだ。(中略)

お前は傲慢だ。英雄になりたがってる。それだから馬鹿なまねしかやれないんだ……。英雄!……私はそれがどんなものだかよく知らない。しかしだね、私が想像すると、英雄というのは、自分にできることをする人だ。ところが他の者はそういうふうにはやらない。」

“英雄というのは、自分にできることをする人だ”──。この言葉を受けて改心し、立ち直ったクリストフとゴットフリートが丘の上で抱擁するシーンは、本作の中でも特に印象的な一場面です。

クリストフは粗暴で協調性のない、性格に難のあるキャラクターですが、だからこそ彼が悩みもがきながら人生を歩んでいくさまはリアルで、とてもドラマティックです。クリストフの人生は、最初から最後まで一貫して波乱に満ちたもの。読者の中には、本作を読み進めるに従ってクリストフと同じ苦悩を分かち合っているような感覚を覚え、クリストフのことを古くからの友人のように感じる方もきっと多いことでしょう。

『十二国記』シリーズ(小野不由美)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4101240523/

『十二国記』は、小野不由美による人気ファンタジー小説シリーズです。1991年に第1作が発表された本シリーズは、20年以上に渡り10代少女を中心とした多くのファンの心を掴み続けてきました。昨年の秋には、最新刊である『白銀の墟 玄の月』が18年ぶりの書き下ろしとして刊行されたことも大きな話題を呼びました。

『十二国記』シリーズの主な舞台は、神仙や妖魔が存在し、最高位の神獣である麒麟が天意に従って選んだ王がそれぞれの国を統治するという「十二国」の世界。「十二国」の世界と私たちの住む世界は本来交わらないはずですが、時折「蝕」と呼ばれる現象が起こり、中国や日本といった国の民が「十二国」の世界に流されてしまう現象が起きます。本シリーズが描くのは、そんな異世界で暮らす人間や、国の統治に悩む異世界の王たちが、運命に翻弄されながらも成長してゆく姿です。

登場人物は各巻によってばらばらですが、共通して登場するメインキャラクターのひとりが、第1作にあたる『月の影 影の海』の主人公・中嶋陽子。陽子ははじめ、日本から十二国の世界に連れ去られてしまった不幸な少女として異世界でさまざまな苦難に遭い続けますが、ネズミの姿をした半獣(※十二国に住んでいる獣の一種)、「巧国」の民、楽俊との出会いやさまざまな人々との交流を経て、十二国のひとつである「景国」の王となるべく強くなっていきます。

十二国の世界に流されたばかりの頃、信じた人に裏切られるという辛い経験を重ねた陽子は、一度は生きることに絶望しそうになります。しかし、陽子が弱い心を持った自分自身と決別し、こんな言葉で自らを奮い立たせるシーンはとても感動的です。

追い詰められても誰も親切にしてくれないから、だから人を拒絶していいのか。善意を示してくれた相手を見捨てることの理由になるのか。絶対の善意でなければ、信じることができないのか。人からこれ以上ないほど優しくされるのでなければ、人に優しくすることができないのか。
「……そうじゃないだろう」
陽子自身が人を信じることと、人が陽子を裏切ることは何の関係もないはずだ。陽子自身が優しいことと他者が陽子に優しいことは、何の関係もないはずなのに。

『十二国記』シリーズは時系列がやや分かりづらいですが、前述したように『月の影 影の海』が『十二国記』のメインストーリーの第1作にあたります。『月の影 影の海』の上巻では陽子がひたすら人に騙され辛い境遇に立たされ続けるため、読むのが辛いと感じる方も少なくないかもしれません。しかし、物語は『月の影 影の海』の下巻から一気に重厚になり、面白くなっていきます。なんとか上巻の辛さに耐え、ぜひその魅力の虜になっていってほしい名作シリーズです。

合わせて読みたい:【待望の新作!】いまからでも追いつける、『十二国記』シリーズの3つの魅力

おわりに

『失われた時を求めて』は全14冊、『ジャン・クリストフ』は全10冊(※岩波文庫版は全4冊)、『十二国記』シリーズも全10冊(※上下巻含まず)と、今回ご紹介した小説はどれもかなりの超大作。一度は気になったことがあってもなかなか手を出せず、読破なんてできないはず……、と諦めてしまっていた方が多いのではないでしょうか。

忙しい日々の中で必死に時間を作って本を読むことも時にはよい経験になりますが、何にも追われず自分のペースでゆっくり本と向き合える時間があるのはとても貴重なことです。もしも最近、時間を持て余しているなと感じることが多いなら、いまが長大な作品に手を伸ばしてみる絶好のタイミングかもしれません。

記事一覧
△ 時間がなきゃ読めない、「超長いけど面白い」小説セレクション | P+D MAGAZINE TOPへ