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【『ブレット・トレイン』としてハリウッド映画化】伊坂幸太郎『マリアビートル』の魅力

2022年9月1日から全国公開されるデヴィット・リーチ監督の映画、『ブレット・トレイン』。ブラット・ピットやジョーイ・キングら豪華俳優の競演でも話題を集めている本作ですが、原作は伊坂幸太郎の長編小説『マリアビートル』です。映画をきっかけに原作小説が気になった方に向け、『マリアビートル』のあらすじと魅力を詳しく解説します。

いま日本でもっとも人気を集める小説家のひとり、伊坂幸太郎。軽妙な会話と忘れがたいキャラクター、意外性のあるストーリーを武器とする伊坂作品は、『ゴールデンスランバー』や『重力ピエロ』、『グラスホッパー』など、その多くが映像化されていることでも知られています。

そしてなんと、2022年9月1日から全国公開(アメリカでは2021年公開)される『ブレット・トレイン』は、伊坂幸太郎初のハリウッド映画化作品。『デッドプール2』などの代表作を持つデヴィット・リーチが監督を務め、ブラット・ピットやジョーイ・キングらといった豪華俳優が競演しています。

『ブレット・トレイン』の原作は、伊坂が2010年に発表した長編小説『マリアビートル』です。今回は映画化を機に原作小説を読んでみたくなったという方に向け、『マリアビートル』のあらすじと魅力を紹介します。

【あらすじ】東北新幹線を舞台に、殺し屋たちが暴れまわる


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4041009774/

『ブレット・トレイン』の舞台は、東京発盛岡着の東北新幹線「はやて」。物語は、6歳の息子を持つ父親・木村雄一が東京駅の改札を抜け、東北新幹線に乗り込むシーンから始まります。

木村のひとり息子・渉はその少し前、デパートの屋上から突き落とされるという陰湿な事件によって意識不明の重体に陥っていました。木村が新幹線に乗り込んだのは、渉を突き落とした犯人に復讐するためです。実は木村は、現在は足を洗っているものの、かつては殺し屋として裏の世界で生きていた人間。渉を陥れた犯人がその日の東北新幹線に乗るという情報をかつての仲間から聞き出し、減音器つきの銃を手元に忍ばせて、犯人の座席へと向かいました。

ところが、木村はいざ犯人の姿を後ろから確認すると、本当に犯人を撃ってよいものか躊躇います。それは、犯人の男・王子おうじさとしがまだあどけなさの残る中学生であったため。しかし、少年とは思えないほどの知性と残忍さを併せ持つ王子は、そんな木村の一瞬の隙をつき、木村をスタンガンで気絶させ拘束してしまいます。王子は、隣の席で目を覚ました木村に向かって、

“「おじさん、本当に馬鹿だね。こんなに予定通りに行動してくれるなんて、驚きだよ。パソコンのプログラムだって、ここまで思い通りには動かないのに。ここに来るのだって知っていたし、おじさんが昔、物騒な仕事をしていたのも知っていたし」”

“「前にもおじさんに言ったけれど、どうしてこんなに思い通りになるんだろうね。人生って甘いね」”

と言い放つのでした。

ちょうど同じ頃、同じ新幹線の3人がけの座席に、蜜柑と檸檬と呼ばれている凄腕の殺し屋ふたり組が、裏社会のドン的な存在である、峰岸という男のひとり息子を間に挟んで座っていました。蜜柑と檸檬は前の日の晩、峰岸の息子が監禁されていたビルから彼を救い出してきたばかり。盛岡にいる峰岸の依頼を受け、犯人グループを全員殺した上で息子を保護し、一度は現場に運んだ身代金を全額持ち帰るというミッションを完遂しようとしていました。

身代金の入ったキャリー付きのトランクは、檸檬の手によって、車両と車両の間にある荷物用スペースに置かれていました。しかし、不安に思った蜜柑が様子を見に行くと、なんとトランクは新幹線が上野駅を通り過ぎるよりも早く、忽然と消えてしまっていました。さらに悪いことに、事態に気づいた蜜柑が座席で眠っていた峰岸の息子を起こそうとすると、なぜか峰岸の息子はその場で静かに息絶えていました

彼らのトランクを盗んだ犯人は、“何者かのトランクを奪え”という謎の指示を受けて動いていた殺し屋・七尾でした。簡単なように思われた任務でしたが、七尾はトランクを奪って上野駅で新幹線を下りようとした際、自分に殺意を抱いている殺し屋・狼と運悪く鉢合わせてしまい、下車できなくなってしまいます。

こうして図らずも、新幹線には数多くの殺し屋が乗り合わせることに。トランクの行方と命をかけた、前代未聞の騙し合いが静かに幕を開けたのでした。

【『マリアビートル』の魅力1】個性豊かな殺し屋たちの競演

物語は、木村、王子、蜜柑、檸檬、七尾の5人の殺し屋(※厳密には、王子のみ職業にはしていない)を中心に進みます。それぞれの殺し屋が、まったく違った強烈な個性を持っている点が『マリアビートル』の第一の魅力です。

王子の中学生離れした残忍さと頭のよさは、前述の通り。息子の復讐を果たすためにそんな王子の命を奪おうと奮闘する木村は、常に酒を飲んでいる破天荒な男です。どんな相手にも無礼で横暴な口を利く木村ですが、息子の渉への愛情は誰よりも深く、渉が意識不明の重体となってからは、犯人を追うために酒を断っています。

また、蜜柑と檸檬は常にふたり組で行動しており、外見も似ていることから“双子の殺し屋”と噂されていますが、実際には正反対の性格をしています。文学好きで、いつでも物事を熟考する蜜柑に対し、檸檬は『きかんしゃトーマス』の大ファンで、楽観的なタイプ。人から名前を聞かれると、ふたりは毎回

“「俺がドルチェで、そっちがガッバーナだ」”

“「違う。俺はドナルド、そいつがダグラス」”

といったでたらめを口にします。

そして七尾は、殺し屋としての腕は一流であるものの、自他ともに認める“運のない”男。新幹線内に置かれたトランクを奪って上野駅で下りる──という一見単純すぎる依頼も、ひとたび七尾の手にかかると、血で血を洗う大事件へと発展していってしまうのです。

【『マリアビートル』の魅力2】新幹線という舞台を活かした攻防のスリル感

舞台が新幹線という制限つきの空間であることも、『マリアビートル』の欠かせない魅力です。

殺し屋たちが乗っている「はやて」は、東京から盛岡までを約2時間30分で走る、全席指定の新幹線。物語のはじめ、木村と王子は7号車に、蜜柑と檸檬は3号車に、七尾は3号車の蜜柑たちのトランクを奪い、6号車手前のデッキに隠れて乗っています。

それぞれが離れた場所にいながらも、ストーリーが進むにつれ、「奪われたトランクを見つけ出したい」「人を殺したことを悟られないようにしたい」「誰にもばれずに新幹線を下りたい」といった5人のミッションが交錯し、車両間の移動や新幹線の設備を巧みに用いながら、それぞれの殺し屋たちが自分の任務を果たすために動き出します。

たとえば、七尾がはずみで殺してしまったある男の死体をどこに隠すべきか、頭を悩ませるシーン。七尾は奮闘の末、新幹線のデッキのダストボックスの近くに、人間ひとりをぎりぎり入れられそうなスペースを見つけます。

“ダストボックスが目に入った。瓶や缶を入れるための穴と、雑誌などを捨てる細長い穴、それから大きく開く蓋もある。
そして、その、ダストボックスの設置された壁の、雑誌用の穴の脇あたりに、小さな出っ張りがあることに気づいた。鍵穴のようだが、穴はない。突起があるだけだ。考えるより先に手を伸ばし、押した。かちりと金具のようなものが飛び出してくる。これは何か、と指で捻る。
開いた。
壁だと思っていた部分は、パネルのようになっており、開ければそこは大きなロッカーと呼べるほどの空間があった。”

七尾は結局、このスペースに死体を隠しますが、その後もデッキを通り抜ける乗客や殺し屋たちに死体のことを悟られないよう奮闘します。このように、新幹線という舞台ならではのトリックや緊迫感が楽しめるのも本作の読みどころのひとつです。

【『マリアビートル』の魅力3】「殺し屋シリーズ」と合わせて読むと、より楽しめる

伊坂幸太郎は、同一キャラクターを異なる作品中に登場させるスター・システムをしばしば採用することでも知られていますが、本作も同様です。『マリアビートル』は伊坂幸太郎の他作品である『グラスホッパー』、『AX』とあわせて読むと、より味わい深い作品となっています。

『グラスホッパー』は、2007年発表の長編小説。ある人物に最愛の妻を殺された鈴木という男が、非合法組織「令嬢フロイライン」に社員として潜入し、妻の復讐を果たそうと奮闘するストーリーです。鈴木の妻を殺した人物は、鈴木が復讐を果たすよりも早く“押し屋”と呼ばれる人物に殺されてしまいますが、この“押し屋”はある任務を果たす役割として、『マリアビートル』の作中にも登場します。

また、2020年発表の連作短編集『AX』は、『グラスホッパー』、『マリアビートル』に連なる「殺し屋シリーズ」の3作目です。この作品は恐妻家の兜という殺し屋の一人称視点で進みますが、作中には『マリアビートル』で活躍するペアの殺し屋・蜜柑と檸檬、そして“押し屋”も登場します。

「殺し屋シリーズ」に登場するキャラクターたちは皆、一度読んだら忘れられないような人物ばかり。殺人の腕は超一流でありながら、家では妻に頭が上がらない男や、しじみの砂抜きを見ることが趣味の殺し屋など、伊坂作品ならではの魅力を持ったキャラクターを味わうことができます。

おわりに

『マリアビートル』の映画版、『ブレット・トレイン』では、物語の舞台が東北新幹線から東京-京都間を走る新幹線に、そして、登場人物の多くが欧米人に変更されています。大幅な脚色には賛否両論がありそうですが、原作の著者である伊坂幸太郎は、この変更を歓迎したとニューヨーク・タイムズのインタビューで語っています。

伊坂は本作に登場するキャラクターたちを、“現実離れした人間たちで、日本人ですらないかもしれない”と捉えていると言います。現実離れしたキャラクターたちが活躍する作品だからこそ、映画版のように大胆なアメリカ流アクションに形を変えても、その個性は光っています。

『ブレット・トレイン』をきっかけに原作小説を手にとってみたくなった方はもちろん、伊坂幸太郎の代表作や、他の「殺し屋シリーズ」を読んだことがあるという方も、ぜひ伊坂作品の真骨頂を感じられる『マリアビートル』に手を伸ばしてみてください。

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