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小川哲『地図と拳』千早茜『しろがねの葉』が受賞! 第168回直木賞受賞予想を振り返り!

第168回直木賞が発表されました。2作同時受賞となった今回。文芸評論家・末國善己氏による候補作の徹底解説を振り返ってみましょう!

目次

1.一穂ミチ『光のとこにいてね』

2.小川哲『地図と拳』 

3.雫井脩介『クロコダイル・ティアーズ』

4.千早茜『しろがねの葉』

5.凪良ゆう『汝、星のごとく』

【まずは前回の答え合わせから!】

 第167回直木賞は、本命を河崎秋子『絞め殺しの樹』、対抗を呉勝浩『爆弾』、穴を深緑野分『スタッフロール』と予想したが、結果は窪美澄『夜に星を放つ』だったので、かすることもなく外れ。通算成績は5勝7敗となった。
 林真理子の選考経過によると、『夜に星を放つ』は「コロナ下の社会を真正面からではなく、日常からさりげなく取り上げた」ところが評価されたようだ。次点・永井紗耶子『女人入眼』は「わざと武士を描かず女性だけで鎌倉ものを描いたところに手腕を感じる」とされたようなので、永井路子の歴史小説が過去のものになったのを感じざるを得ない。三番手は『爆弾』で、「悪意を持つ男の造形が評価されたものの、結末の展開に難色を示す声があった」というのは予想の通りだった(選考経過の引用は「朝日新聞」夕刊、2022年7月27日)。

【第168回直木賞候補作、ココに注目!】

 今回は、短編集、連作短編集がなく長編5作の勝負となった。
 1999年に『栄光一途』で第4回新潮ミステリー倶楽部賞を受賞してデビューし、『犯人に告ぐ』で第7回大藪春彦賞を受賞した雫井脩介と、2006年に「恋するエゴイスト」を「小説花丸」(冬の号)に発表、翌年に『花嫁はマリッジブルー』を刊行して本格的な作家活動に入り、2019年に『流浪の月』で本屋大賞を受賞した凪良ゆうの二人が、遅すぎる直木賞の初候補になった。一穂ミチと小川哲は2回目、千早茜は3回目の直木賞候補なので、前回と同じくノミネート回数が少ない作家の戦いになっている。
 ボーイズラブ(BL)小説の世界で活躍してきた凪良ゆう『汝、星のごとく』と一穂ミチ『光のとこにいてね』は、女性と男性、女性と女性の違いはあるが登場人物二人が交互に語ることで物語を進めるスタイルが共通していた。これに雫井脩介『クロコダイル・ティアーズ』、千早茜『しろがねの葉』を加えた4作は、恋愛・結婚、家族、仕事といった身近な題材から現代日本の社会問題を掘り下げていたが、小川哲『地図と拳』は歴史と国家という壮大なテーマに切り込んでいた。戦国末期から江戸初期を舞台にした『しろがねの葉』と近現代史を取り上げた『地図と拳』が歴史時代小説で、ほかの3作は現代小説である。こうした好対照の作品があるだけに、どちらが受賞するかもポイントといえるだろう。
 以下、候補作を順に見ていきたい。

【候補作別・末國的見どころ解説!】

一穂ミチ『光のとこにいてね』 百合萌え青春小説


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 『光のとこにいてね』は、運命の出会いをした小瀧結珠と校倉果遠の小学2年から29歳に至る交流を全3章で描いた五物語である。
 父が医者をしている結珠は、毎週水曜日に母親に連れられ寂れた団地に通うようになる。母親が、男が一人暮らしをしているらしい504号室で用事をしている間、外で待っているようにいわれた結珠は、同じ団地に母親と住んでいる果遠と出会う。週一回の短い時間の交流だったが、結珠と果遠は親しくなっていく。
 裕福で幾つも習い事をしている結珠と、母一人に育てられている貧しい果遠は別の世界に生きているように思えるが、次第に共通点があると分かってくる。結珠の母は娘に自分の価値観を押し付けていて、母に逆らうと叱られる結珠はいい娘になることで身を守っていた。自然由来の食べ物や衣類しか使わない果遠の母は、娘にも同じ価値観を強い、そのことで果遠がいじめられても平然としているのだ。昨年から新興宗教の二世信者の問題が報じられ、国会でも取り上げられたが、母親に抑圧されている意味では、結珠と果遠の境遇は宗教二世に近く、タイムリーな設定といえる。
 時は流れ、エスカレーター式で有名私立高校の一年になった結珠は、奨学金が支給されるほど学業優秀、スポーツもできる美少女になった果遠と再会する。ほかの同級生たちに気付かれないよう再び交流を始めた二人だが、今度は果遠の母親の都合で、離れ離れになってしまう。12年後。職場でメンタルをやられ休職し、夫と本州最南端の町(モデルは和歌山県串本町)に転居した結珠は、そこで元消防士の水人と結婚し娘の瀬々を産み、スナックのママをしている果遠と再会する。
 なぜ結珠の母は団地に行ったのか、そこで会っていた男は誰か、結珠と果遠が離れていた時、二人に何が起きていたのかといった謎が物語を牽引するので、ミステリとしても楽しめる。ただ果遠が結珠と同じ高校に進むことができた理由は納得できるが、大人になっての再会は偶然に頼りすぎていて作為が前面に出され不自然だった。小学2年、高校1年、29歳と3つの時間軸で物語が紡がれるが、母親の呪縛から逃れようとする結珠と、それをサポートする果遠の構図が繰り返されるだけで、肝心の結珠と母の決着にも物足りなさが残った。

小川哲『地図と拳』 国家と戦争の構造に切り込む叙事詩


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 個人情報を巨大情報企業に提供すると高額な基礎保険が受け取れるユートピアでもあり、ディストピアでもある地区を舞台にした『ユートロニカのこちら側』で第3回ハヤカワSFコンテストの大賞を受賞、大虐殺を実行したポル=ポト政権の失敗から学び、理想の国家を造ろうとする第2長編『ゲームの王国』で第38回日本SF大賞と山本周五郎賞を受賞した小川哲は、国家建設にこだわる作家といえる。一八九九年から一九五五年まで、満州に日本人が造った架空の都市・李家陳の攻防を壮大なスケールで描く第3長編『地図と拳』も、この系譜に属しており、既に第13回山田風太郎賞を受賞、直木賞とのW受賞になるかも注目されている。
 本書は、各章のタイトルが西暦になっていて、主人公を変えながら、その年に何があったかを綴る年代記形式になっている。まず日露戦争前夜に満州に送り込まれた軍事探偵の高木と通訳の大学生・細川の冒険が描かれ、続いて義和団事件に巻き込まれたロシア人神父クラスニコフ、李家陳の新たな王になり開発を始めた馬賊の孫悟空など、怪しげな人物が次々と登場する。中盤までは各章が独立しているように思えるが、次第に点と点が結ばれ、実際に発生した事件を巻き込みながら複雑に入り組んでいくだけに、虚実の皮膜を操る手腕に圧倒された。
 小川は、満州事変で日本が占領した地域をベースにして1932年に建国され、日本の敗戦で消滅した満州国の歴史を、小都市・李家陳の中に凝縮し、「五族協和」「王道楽土」なる理想を掲げた満州国はなぜ失敗したのかを問い、さらに国家が持つ普遍的な構造にまで切り込んでいく。東京帝大で気象学を研究した須野が、満鉄で地図を作る仕事を始めるエピソードがあるように、本書は国家の枠組みを可視化するのが地図であり、その地図を書き換える軍事力を拳で表現することで、戦争のあり方までも浮かび上がらせようとしたところも野心的である。

雫井脩介『クロコダイル・ティアーズ』 家族の不信と不和を追ったミステリ


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 劇場型犯罪に対し警察が劇場型捜査で挑む〈犯人に告ぐ〉シリーズなど警察小説に定評がある雫井だが、『クロコダイル・ティアーズ』は犯人の爆弾発言によって犯罪被害者家族に巻き起こる波紋を追った静かながら恐ろしいミステリである。
 久野貞彦と妻の暁美は、鎌倉で老舗の陶磁器店を経営していた。貞彦は引退を考える年齢になっていたが、息子の康平は熱心に家業を学ぶ良き後継者に育ち、妻の想代子との間に那由太も生まれていたので店は次々代まで安泰と考えていた。ところが康平が、想代子の昔の恋人・隈本に殺されてしまう。康平に想代子を奪われた恨みから犯行に及んだ隈本は、罪状を認め、裁判は荒れることなく進み予想以上に重い判決が出た。それに怒ったのか、隈本は、想代子は康平のDVに苦しんで助けを求めたこと、康平がいなくなればよりを戻すといったという不規則発言をする。想代子は否定し検察も重要視しなかったが、隈本の発言は報じられ、想代子は疑惑の人になる。
 タイトルの『クロコダイル・ティアーズ』(直訳すると「ワニの涙」)は嘘泣きのことで、ワニは食べた獲物のために泣くというヨーロッパの伝承に由来している。
 久野家の人たちは、想代子が隈本をそそのかして康平を殺させたとの疑惑を否定したいと思いつつも、疑心暗鬼に陥っていく。暁美の姉で元人気エッセイストの東子は、康平の死を知った想代子が嘘泣きをしていたと証言。那由太は隈本の子供ではないかという疑惑が浮上するなか、久野家の周辺では、東子が経営するサンドイッチ店での食品の産地偽装が発覚、貞彦が大切にした二つの陶器が何者かに割られるなど不幸が相次ぐが、これらに想代子がかかわっている可能性も出てくる。
 貞彦と暁美は、義理の娘が息子殺しの黒幕ではないかとの疑念にとらわれ溝が深まっていくが、雫井は、この状況を犯罪被害者家族の特殊な事情とはしていない。想代子に不信の目が向けられるのは、異なる価値観の家庭から久野家に入ったという要因も大きく、事件の根底にある婚家と実家、老人と若者の断絶は、どの家庭で起こっても不思議ではないだけに、リアリティと恐怖を感じる読者も少なくないだろう。
 ただ、謎解きの面白さや終盤のどんでん返しが淡泊なので、ミステリとしては小粒な印象が拭えない。

千早茜『しろがねの葉』 フェミニズム時代小説


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 千早茜初の時代小説となる『しろがねの葉』は、二〇〇七年に世界遺産(文化遺産)に登録された石見銀山を舞台にしている。
 幼い頃から夜目が利いたウメは、暗闇の中を歩くのが好きだった。豊臣秀吉の朝鮮出兵に伴う徴用と不作が重なりウメが5歳の時に一家は夜逃げをするが、両親と弟は追ってきた村人に捕まった。母親の命令に従って山道を進むウメは、石見銀山で銀の鉱脈を探している凄腕の山師・喜兵衛に救われる。
 石見銀山では間歩(坑道)に女性が入るのはタブーだったが、夜目が利くウメの能力を認めた喜兵衛は、山師の技術を教え始める。少年時代から苛酷な労働環境で働く銀掘の男たちは、金を稼げるが肺を病むため短命で、その妻は「三たび夫を持つ」といわれるほどである。結婚では買い手市場の銀山の女たちは子供を産み、人手不足が慢性的な銀山に労働力を提供する役割を担い、死と隣り合わせの銀掘の男たちには女郎屋も用意されていた。女性が自己実現をできなかった時代に、喜兵衛に保護と教育を受ける機会を与えられたウメは、喜兵衛の後継者になって、結婚とも、女郎とも違う道を模索し始める。
 当時の常識や銀山のしきたりによる制約を受けながらも自立するため抗い続けるウメだが、初潮を迎え子供が産める体になると、男社会がありとあらゆる手段を使って自由と将来を縛り始める。ウメが女性というだけで直面する運命は苛酷だが、似た状況は現代も存在しているだけに、女性の読者は共感も大きいのではないか。
 だがウメの戦いは、喜兵衛と分かれ、石見銀山に来た頃からの知り合いで一流の銀掘になった隼人と結ばれたあたりから激しさを失っていく。終盤にウメは戦線に復帰するが、その時は女性だけでなく、性別や年齢を問わずすべての弱者のために立とうとする。ウメを突き動かす原動力が(男女のものか、師弟のものか、家族的なものかは判然としないが)喜兵衛への“愛”であったり、一度、戦いから退いたウメが再起したりする展開が、フェミニズム的なテーマを減じたとされるか、より強調しているとされるかで、評価が分かれるような気もしている。

凪良ゆう『汝、星のごとく』 恋愛が浮き彫りにする若者たちの苦悩


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 偶然、出会ってしまった2人の登場人物が語り手で、家族に縛られる若者を描いているが、似た構図の『光のとこにいてね』が家族からの逃れるための戦いを描いたとするなら、『汝、星のごとく』は家族を切りたくても切れない苦悩に迫っている。
 17歳の青埜櫂の母親は、恋愛なしには生きられず、瀬戸内海の島まで男を追いかけスナックを始めた。子供の頃から母親に振り回された櫂は、物語の中に逃避し今では漫画の原作を手掛け、作画担当の尚人と組んで連載を取る一歩手前まできていた。
 櫂の同級生・井上暁海は、父親が浮気相手の瞳子の家に行ったままになり、母親は精神の均衡を崩していた。暁海は母親に頼まれ父を連れ戻しに行くことになり、櫂が同行してくれた。刺繍作家として自立している瞳子は、父に依存している母とは正反対で暁海はショックを受ける。櫂は落ち込んだ暁海を励まし、二人は恋仲になる。
 高校卒業後、櫂は漫画原作者になるため東京に行き、櫂と東京へ出ることも考えた暁海は、母親の世話をするため地元で就職し、二人は遠距離恋愛になる。櫂と尚人の連載漫画は徐々に人気を集め、櫂は金遣いが荒くなっていく。男尊女卑の職場で働きながら瞳子に刺繍を学んでいた瞳子は、東京で会うたびに変わる櫂を心配するが、櫂は聞く耳を持たない。やがて尚人がスキャンダルに巻き込まれた影響で櫂も表舞台から姿を消すが、暁海は刺繍作家として注目を集めつつあった。
 瞳子は、「いざってときは誰に罵られようが切り捨てる」「もしくは誰に恨まれようが手に入れる」「そういう覚悟がないと、人生はどんどん複雑になっていくわよ」と語り、櫂と暁海は人生の岐路に立つと、この言葉を思い出す。二人は母親を切り捨てれば自分の人生が楽になると思うこともあるが、実行はできず事態はどんどん「複雑」になっていく。だが瞳子のように、人間関係を割り切る強さを持った人は少ないはずなので、重荷になると知りながら家族を助け、それによって櫂と暁海が苦悩する展開は、とても他人事とは思えないのではないか。
 暁海と櫂の恋愛に、ヤングケアラー、性的マイノリティとアウティング、ネットの炎上、女性の社会進出の難しさなど現代の日本が抱える社会問題を織り込んだところは評価できるが、やや総花的で掘り下げが十分とはいえないテーマもあった。

【いざ、受賞作品を予想!】

 上記を踏まえ、第168回直木賞を予想したい。
 本命は、ロシアがウクライナに侵攻した理由にも敷延できる国家論、戦争論を展開するなどエンターテインメント性とテーマを両立させた『地図と拳』。この作品を受賞させないと直木賞の価値が下るし、選考委員の見識が疑われるという意味では、165回直木賞を受賞した佐藤究『テスカトリポカ』に近いものがある。一つ気になるのは、『中原の虹』『天子蒙塵』など満州を舞台にした傑作を発表している浅田次郎の動向で、考証のミスなどが指摘されると反対に傾くかもしれない。
 対抗は、千早茜『しろがねの葉』。初の歴史時代小説ということもあり、現代的なテーマを歴史の中に落とし込み、登場人物の価値観も現代的なので歴史時代ものとしてみると弱さはあるが、ヒロインの強さ、物語の熱量は選考委員好みで、今回の候補作全体と比較しても完成度は高い。
 穴は、一穂ミチ『光のとこにいてね』と凪良ゆう『汝、星のごとく』で迷った。若い世代が直面している問題を丁寧に描いた評価ポイントも、主人公を助ける便利キャラがいてご都合主義的なウィークポイントも似ているので判断が難しいのだが、テーマを分かりやすく前面に出した『汝、星のごとく』、ヒロイン二人の複雑な心理と葛藤を描こうとし、安易なシスターフッドの物語に逃げなかったところを評価して、『光のとこにいてね』を採りたい。

 選考委員は前回と同じ浅田次郎、伊集院静、角田光代、北方謙三、桐野夏生、高村薫、林真理子、三浦しをん、宮部みゆきの9名、選考会は2022年1月19日に築地の料亭・新喜楽で開催される。

【筆者・末國善己 プロフィール】

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●すえくによしみ・1968年広島県生まれ。歴史時代小説とミステリーを中心に活動している文芸評論家。著書に『時代小説で読む日本史』『夜の日本史』『時代小説マストリード100』、編著に『山本周五郎探偵小説全集』『岡本綺堂探偵小説全集』『龍馬の生きざま』『花嫁首 眠狂四郎ミステリ傑作選』『いのち』『商売繁盛』『菖蒲狂い 若さま侍捕物手帖ミステリ傑作選』などがある。

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