本との偶然の出会いをWEB上でも

人間の性や人間模様が垣間見える 鉄道小説5選

列車に乗る愉しみ、車内での見聞、そこで遭遇した思わぬ出来事などを綴った鉄道文学というジャンルがあります。内田百閒(うちだひゃっけん)『阿房(あほう)列車』、宮脇俊三『時刻表2万キロ』といった作品は、鉄道文学の古典ですが、昨今では、女性作家の手による新しい作品も生まれています。今回は、そんな鉄道文学を、新旧織り交ぜて5作紹介します。

宮脇俊三『時刻表2万キロ』――昭和20年8月15日終戦の日。その日も電車は走っていた


https://www.shogakukan.co.jp/digital/09D022060000d0000000

「鉄道の『時刻表』にも愛読者がいる」という書き出しで知られる本作は、鉄道好きの著者が、昭和の時代、日本全国の国鉄全線の完乗を目指し、地方のローカル線に至るまでを制覇していく様子が記された紀行文です。
 時刻表を眺めていると、汽車に乗りたくて居ても立っても居られなくなってしまうという著者。東京・上野発の夜行列車「津軽2号」に乗ったときのことを次のように記しています。

いくらかでも楽をしようとグリーン車にしたけれど、あれは私には扱いにくい。背もたれが傾くからそれだけ尻にかかる重みは分散するが、なまじ仰向け気味になるから足を伸ばしたくなる。すると足がつかえる。思いきって前の席の背もたれの上にのせると楽らしいが、前に客がいなくてもそれはやりかねる。だが、高い特別料金を払ったのに施設を十分活用しないのは損な気がしてくる。こうなると品性の問題になってきて、ますます扱いにくくなる

グリーン車は論ずるより似合うことが大切なのかもしれない。孝行息子でもいるのか、草履を脱いでグリーン車にちんまり坐ったおばあさんなど、もっともよく似合う。私などグリーン車に乗ると食堂車に席を移すのがもったいないような気がするから、まだまだ

現代の私たちが、新幹線などで、後ろの人を気にしてリクライニングシートをどのくらい倒すべきか迷ったり、追加料金を払っているのだから、グリーン車だけに備えつけのブランケットを使わねば損、と考えたりするのに似た心境です。
本作の白眉は、日本が敗戦を迎えた日、駅で玉音放送を聴いたというくだりです。

昭和20年8月15日の正午の放送を、私は今泉駅前で聴いた。所用で山形へでかける父についてゆき、新潟県の村上に抜ける途中、正午に重大な放送があるというので今泉で下車したのであった

そういう重大事であるのに、鉄道はほぼ時刻表どおりに動いていて、まもなく米沢発坂町さかまち行の米坂線の列車が入ってきた。何事もなかったかのように蒸気機関車が蒸気を拭き出しながらホームにすべりこみ、顎紐あごひもをきりっと締めた機関士やショベルを握った助士の姿も、いつもと変りはなかった。変りようのないことではあるが、それが強く印象に残った。なんでも終戦時が最悪の状態であったと、つい考えがちであるが、鉄道はそうではなかった。電化区間はわずかしかない時代だったから、駅が焼けても枕木が焦げる程度で、どうにか走っていた

非常事態にあっても通常運行している列車、敗戦のどん底にあっても、ひたすら前進する列車に、著者は戦後復興の希望を託したのかもしれません。

酒井順子『鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む』――元祖「乗り鉄」作家の鉄道文学を、名エッセイスト・酒井順子が読み直す


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「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」(内田百閒『阿房列車』1955~1955より)――。本書は、「乗り鉄」のはしりである、作家の内田百閒と宮脇俊三の鉄道紀行について、鉄道好きを自認するエッセイスト・酒井順子が独自の解釈を加えながら読み説くエッセイです。
例えば、百閒の汽車の等級に関する考えと、著者がそこに加える考察は以下のとおり。

「私は一等車でなければ乗らないときめた。そうきめても、お金がなくて、三等に乗るかも知れない。しかしどっちつかずの曖昧な二等車に乗っている人の顔附きは嫌いである」と(百閒は)記す。身分制度を知らない我々にとって戦前の鉄道の等級制度がどのようなものかは、理解しづらいところがあるが、飛行機におけるファースト、ビジネス、エコノミーのようなものではないか。知り合いのCAは、「ファーストクラスに乗っているお客さんは静かな人が多いけれど、ビジネスクラスのお客さんは注文が多いし、偉そう」と言っていた。百閒が「二等車に乗っている人の顔附きは嫌い」と書くのは、それと似たような理由によるかもしれない

中途半端なお金持ちほど威張る、といったところでしょうか。また、

百閒は、お金があるのに(一等車ではなく)三等に乗ろうとする人に対しては、「多くの場合その事が自慢であったり見栄であったりする」のだ、と。それは、「お金があるのにあえて金持ちぶらずに三等に乗る自分」を”アピール”しているのが、鼻持ちならないということだろう

と指摘しますが、現在の私たちにも通じる感覚といえそうです。
 その他、「鉄道好きの観光嫌い」と題された章では、鉄道に乗るのは旅の手段ではなく、鉄道に乗ること自体が目的という人の心理を分析していて、首肯しゅこうさせられます。

辛酸なめ子『電車のおじさん』――電車に乗っているあなたも、こんな風に見られているかも⁈ 辛酸なめ子流・車内観察記


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お茶の水にある文具店に勤めるOL・玉恵が、毎朝、通勤ラッシュの総武線内で人間ウォッチングする様子を綴った小説です。著者は、脱力系ユーモアが持ち味のコラムニスト・辛酸なめ子。

痴漢撲滅キャンペーンの効果か、このところ痴漢に遭わなくなったのはよかったです。むしろ痴漢に間違えられることを恐れる男性が増えたようです。玉恵の両側の男性は、両手を上げてつり革につかまっていました。「痴漢冤罪保険」という、痴漢に間違えられたときのために入る保険のポスターがドアの上に貼られています。といっても最近は鞄の角で女性の体をなぞってくる痴漢もいるらしいので油断できません

(サラリーマンの)白シャツにはその人の経済力とか家庭の事情が透けて見えます。
「このシャツはスケ感からしてポリエステルでしょうね。ちょっと安っぽいけど」
「ポリエステルのシャツの下に白いTシャツが透けて見えている、ダサい」
「あの男性のシャツ、綿っぽいし、ちゃんとアイロンがけされてる。奥さんがかけているのかな。ちゃんとした家庭なんでしょうね」

(電車のドアの)入口脇で動こうとしないおじさんのことを通称「狛犬」と呼ぶそうです。駅で降りたい人がいるのにどいてくれない。降りたい人がいても譲ろうとしない、何としても意地になって車内にとどまろうとする、エゴまみれの男たち

地下鉄の照明は女性の肌には厳しくて、窓に映る顔はプラス10歳ほど老け込んで見えることが知られています

など、通勤電車内での「あるある」が満載の本作。おっとりした「ですます」調で語られるのとは裏腹の、鋭い観察眼には、思わず唸ってしまうでしょう。

有川ひろ『阪急電車』――様々な人生が一瞬だけ交錯する車内での、偶然の出会いとは


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電車とは、偶然そこに居合わせた人たちを一緒に運ぶ運命共同体のようなものですが、本作は、片道15分の阪急電車・今津いまづ線のなかで、たまたま隣り合わせた人たちに起こった人生の機微を切り取った、ハートウォーミングな作品です。著者は、『図書館戦争』で知られる有川浩です。
阪急電車は、チョコレート色の車体がレトロでかわいい、阪神間を走る私鉄です。初老の女性・萩原時江は、昼下がり、孫娘を連れて逆瀬川さかせがわ駅から乗車します。

次の車両へ移ると、まるで結婚式場から逃げ出してきたような純白のドレスの女性がドアの近くに立っていた。訳ありだということは大人であればすぐに分かる、彼女の足元には地元では一流どころの宝塚ホテルの引き出物袋が置いてある。まともな常識を持った大人なら、結婚式に呼ばれてこんな派手な白いドレスを着ていくことはない。その女性はごく理知的な感じで、常識知らずでこんな真似をしでかしたようには思えなかった。
 孫娘が、彼女を指差して「花嫁さん」と声を上げた。途端、その女性の目から涙がこぼれ落ちた

それとなく事情を察した時江は、女性に、

「討ち入りは成功したの?」

と声をかけます。そこで、女性が明かした事情とは……。

人数分の物語を載せて、電車はどこまでもは続かない線路を走っていく

というフレーズが印象的です。電車に乗り合わせた見ず知らずの誰か。皆、何食わぬ顔をしていても、その日良いことがあった人も、悲しいことがあった人も、すべてをひっくるめて今日も電車は走っています。その様子を感じ取ってみてください。

多和田葉子『容疑者の夜行列車』――乗車しているだけで「容疑者」にされてしまう、スリリングなヨーロッパ鉄道の世界へようこそ


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主人公「あなた」は、ヨーロッパ在住の現代舞踏ダンサー。ヨーロッパ各地で開かれる公演のために、鉄道を乗り継いで各国を旅する途中、様々なハプニングに遭遇します。著者の多和田葉子は、長年ドイツに暮らし、日本語とドイツ語の両方で著作を発表し続けている芥川賞作家(第108回『犬婿入り』で受賞)です。
それはまだ、ユーゴスラビアという国があった頃のこと。「あなた」は、イタリアのトリエステから、ユーゴスラビアのザグレブ行きの夜行列車に乗ろうとしています。

駅の待ち合い室の暗さに目が慣れてくると、次第に人々の輪郭に色彩が加わり、細かいところまで見えてきた。たとえば、前方で屈伸運動をしているように見える男は、よく見ると、自分の足に紺色の厚い布を巻き付けてガムテープでとめている。更によく見ると、それは布ではなくて、ジーパンである。ジーパンを履かないで脚に包帯のように巻き付ける人間がいるだろうか。あなたは社会主義圏では意外なものが高価であることを思い出した。良いジーパンなら、ソ連では毛皮のコートと交換してくれる、と聞いたことがある。男はイタリアからユーゴスラビアにジーパンを密輸しようとしているのかもしれない

間もなく、「あなた」は、到着した列車に乗り込みます。

あなたがリュックサックを棚に上げようとすると、まぶたの片方腫れた男が急にあなたの腕に手をかけて、ちょっと待ってくれ、と目で合図した。それから声をおとして、トランクが満杯でもう入れる場所がないからこのコーヒーの包みをあなたのリュックにしばらく入れておいてくれ、と言って、コーヒー豆の500グラムほど入った紙袋を二つ、あなたに手渡した。あなたは何も考えずに快く承諾して、リュックの脇ポケットに入れた。今考えると、この時、何の疑いも持たなかった自分が不思議である。入れる場所がないからコーヒーをリュックに入れておいてくれと、赤の他人に頼む人が、どこの世界にいるだろうか

その後、「あなた」は、車内を見回りに来た警官に、リュックの中身を見せるよう言われます。果たして「あなた」は、無自覚のまま密輸に加担したという濡れ衣を着せられるのでしょうか。日本ではおおよそ考えられないことですが、ヨーロッパ事情に精通した著者ならではの小説といえそうです。

おわりに

先に紹介したエッセイストの酒井順子は、鉄道に揺られる心地よさには、「ゆりかご効果」があるとし、「鉄道とは母性的な乗り物、忙しい現代女性が鉄道に身を委ねる時、母の胎内に回帰するような安らぎが得られる」(『女流阿房鉄道』より)と指摘しています。コロナ禍で、鉄道による移動の機会が減っている今、本の中で列車に乗っているときの様々なシチュエーションを疑似体験してみてはいかがでしょうか。

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