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【源氏物語尊い……】『更級日記』から見えてくるオタク女子の一生。

菅原孝標女が『源氏物語』に夢中だった少女時代を振り返って書いた『更級日記』。半ばオタク女子でもある菅原孝標女の一生を、現代のオタク女子の行動と合わせて解説します。

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「物語の世界に憧れる、可憐な少女時代を書き綴ったもの」として知られる『更級日記』。作者の菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめが13歳のときからほぼ40年間にもわたる日々のことを綴った回想記には、『源氏物語』への強い憧れが記されています。

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出典:http://amzn.asia/4Bhh3nP

そう聞くと「なるほど、源氏物語に憧れた、可愛い女の子の日記なんだな」と思うかもしれません。しかし、平たく言えば菅原孝標女は平安時代のオタク。「源氏物語尊い……」と静かに感動する彼女の姿は、「このキャラ尊い……」、「いや待って無理」と好きな作品を前にただただ語彙力を失うオタク女子とほぼ同じです。いわば、オタク女子ならば共感してしまう行動の数々が、1,000年も前にすでに記されていたのです。

今回はそんな『更級日記』を、オタク女子特有の行動とともに紹介します。

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オタクが生まれるのは環境から?こうして菅原孝標女はオタクになった。

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菅原孝標女は1008年、菅原道真の玄孫やしゃご上総国かずさのくに(現在の千葉県)の受領ずりょう(現在でいう知事のようなもの)を務めていた父親と藤原家の血を引く母親のもとに生まれます。一族には学者が多くいたほか、なんと伯母は『蜻蛉日記』の作者、藤原道綱母。彼女が学問や文芸の道に秀でたサラブレットであったことは言うまでもありません。

そんな菅原孝標女は父の仕事の都合により、京の都から遠く離れた上総国で幼少期を過ごしていました。当時の上総国といえば、娯楽が皆無であるド田舎。話し相手といえば家族とお世話係のみ。知的好奇心が満たされない環境は菅原孝標女にとって退屈でしかなく、広い世界への憧れは募るばかりでした。

そのフラストレーションは、自分自身を日記の本文でこう自虐していることからも十分伝わることでしょう。

「東路の道のはてよりも、なほ奥つ方に生ひ出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを」

【意訳】
東のずっとずっと果てのド田舎で生まれ育った私なんて、都の素敵なことを何にも知らないのよ。

そんな彼女の楽しみといえば、都で流行っている「物語」を、宮仕えの経験があった義母から伝え聞くこと。都で大人気の『源氏物語』の話を聞いた菅原孝標女は、「なんて素敵なのかしら!」と胸をときめかせます。

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この時から菅原孝標女は、『源氏物語』にのめり込みますが、これは現代のオタク風に言うと、「『源氏物語』沼にハマる」こと。ここでいう「沼」とは、とても好きな作品のジャンルや世界観を指し示す言葉。義母の語りをきっかけに、彼女は「もう好きで好きで仕方ない!寝ても覚めても源氏物語のことばかり考えてしまう……」という立派な源氏物語沼の住人として覚醒するのでした。

 

「どうしても源氏物語が読みたい!」菅原孝標女がとった驚きの行動とは。

とはいえ、菅原孝標女が触れられる『源氏物語』は、義母から聞くあらすじのほんの一部。紙の本は都に行くしか手にいれる方法はなく、次第に「話を聞くだけでは満足できない。どうにかして全部読みたい」と思いを募らせていきます。「新刊が近所に売ってない。なんで私はこのお話を読めないの?」という現代オタクのように、『源氏物語』が読めない苦しみに身悶えする菅原孝標女。そこで彼女は驚くべき行動に出ます。

つれづれなるひるま、宵居などに、姉、継母やなどやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ。
いみじく心もとなきまゝに、等身に藥師佛を作りて、手あらひなどしてひとまにみそかに入りつゝ、「京(みやこ)にとくのぼせ給ひて、物語の多くさぶらふなる、あるかぎり見せ給へ」と身を捨てて額(ぬか)をつき、祈り申すほどに、

【意訳】
暇な時には、姉や義母たちが、光源氏が出てくる物語を覚えている範囲で語ってくれた。私はそれを聞くと「最初から知りたい」と思うのだけど、さすがに最初から最後まで姉や義母たちがあらすじを覚えてくれているわけではない。それが本当にじれったくて、「もうこれは仏様に祈るしかない!」と思い立った私は等身大の薬師仏を作らせて「1日も早く都に行かせてください。そして物語を読ませてください」と一心不乱に祈った。

『源氏物語』がどうしても読みたいという気持ちが高まった菅原孝標女は等身大の仏像を作らせ、ただただ読めるよう仏に祈ります。そんなオタクの行動力に仏も根負けしたのか、菅原孝標女は父の任期が切れたことから都へ戻ることに。物語を読む大きなチャンスを手にするのでした。

年ごろ遊び馴れつる所を、あらはにこほちちらして、立ち騒ぎ手、日の入りぎはの、いとすごく霧りわたりたるに、車に乗るとて、うち見やりたれば、人まには参りつつ額をつきし薬師仏の立ちたまへるを、見捨てたてまつる悲しくて、人知れずうち泣かれぬ。

【意訳】
長年の間慣れ親しんだ家を、外から丸見えになるまで解体し、家具などを取り外すなど人々は引越しの準備で慌ただしい。日が沈む頃、たいそう霧が立ち込めているなかで車に乗ろうとした際、ふと家の方を見るとあの薬師仏がお立ちになっている。置いていかなければいけない悲しさに涙がこぼれてきた。

都へ引っ越す際、願いを叶えてくれた薬師仏は置いていかなければいけませんでした。解体された家に残された薬師仏を見てそっと涙を流す菅原孝標女。いたいけな少女は果たして『源氏物語』を読むことはできるのでしょうか。

 

ついに『源氏物語』にたどり着く。

上総国から長い旅路を経て、都へやってきた菅原孝標女。新たに住む屋敷は久しく人の手が入っておらず、荒れ放題でした。到着してまだ屋敷の片付けも済んでいない状況なのに、「ああ、物語が読みたい。どうにかして買ってください!もしくはもらってきてください!」と実母にせがみます。数年ぶりに実母と会った感動よりも、「物語が読めるかもしれない」という期待が勝るのは、彼女が念願叶って地方から都会へとやってきたオタクである以上、仕方がないのでしょう。

それでも実母は娘のためにつてを探した結果、何冊か『源氏物語』を譲ってもらえることとなります。早くも『源氏物語』を読めることに狂喜乱舞し、あっという間に読破してしまう菅原孝標女。物語を読むことに味をしめ、「もっともっと読んでみたいわ」とより物語への願望を強くしていきます。確かに、ずっと読みたかった作品の一部を読めば、「最初から最後までちゃんと読みたい」と思うのが人間というもの。菅原孝標女の反応は至極真っ当です。

嬉しくいみじくて、夜昼これを見るよりうち始め、またまたも見まほしきに、ありもつかぬ都のほとりに、たれかは物語求め見する人のあらむ。

【意訳】
あまりにもテンションが上がったものだから、引きこもって物語をひたすら読んでいた。「源氏物語尊い……お母さんありがとう。でも、もっともっと読みたいなー」と思ったはいいけれど、まだ友達もいない都に、私のために物語を読ませてくれる人なんかいるわけない。

「今度一緒にイベントに行こう」、「欲しいって言ってた限定本、見つけたから買っておいたよ」といったように、オタクは同志がいると何かと協力体制を築く生き物です。しかし都に来る前と同じく、菅原孝標女には家族以外に『源氏物語』が好きな友人はいませんでした。源氏物語の魅力を同年代と語ることができない、孤独なオタクだったのです。

 

辛い別れを乗り越え、ついに夢を叶える菅原孝標女。

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菅原孝標女を待っていたのは、物語との出会いだけではありませんでした。突如、流行していた流行病により、彼女の乳母は命を落とします。

せむ方なく思ひ嘆くに、物語のゆかしさもおぼえずなりぬ。

【意訳】
私は本当にどうしようもないほどショックで、もう物語を読みたいなんて気持ちはすっかり無くなってしまった。

あんなに夢中だった物語への興味を失ってしまうほど、乳母の死は彼女にとって大きなショックでした。上京前の出産、療養のために上総国に残っていた乳母。菅原孝標女は上京するなり物語にうつつを抜かし、離れていた乳母のことをおざなりにしていたことをひどく悔やみます。

そんな娘のために何かしてあげたいと思った母は、気分転換させようと物語を取り寄せます。最初こそ気乗りしなかったものの、母の目論見通り物語をきっかけに元気を取り戻すのでした。

再び物語への情熱を取り戻した菅原孝標女。「どうしても源氏物語を全部読みたい」という思いから、寺へ参詣すれば何よりもまず「どうか読ませてください」と祈るようになります。

このことを申して、出でむままにこの物語見はてむと思へど、見えず。いとくちをしく思ひ嘆かるるに

【意訳】
「参詣が終わって家に帰ったら『源氏物語』が全巻ある!こうして私は源氏物語沼に浸かるのだった……」なんて上手い話は現実に無い。「いや、わかってる。わかってるよ、そんなとんとん拍子に上手くいくことなんてないけどさあ」と思うくせに、ついついため息をついてしまう私。

そんな矢先、菅原孝標女の伯母が地方からやってきます。久々に会った伯母は、菅原孝標女のことを「まあまあ、すっかりきれいになったわね。」と褒めるのでした。

「何をか奉らむ。まめまめしきものは、まさなかりなむ。ゆかしくし給ふなるものを奉らむ」とて、源氏の五十余巻、ひつに入りながら、ざい中将、とほぎみ、せり河、しらら、あさうづなどいふ物語ども、一袋とり入れて、得て帰る心地の嬉しさぞいみじきや。はしるはしるわづかに見つつ、心も得ず、心もとなく思ふ源氏を、一の巻よりして、人もまじらず几帳の中にうち伏して昼は日ぐらし、夜は目のさめたるかぎり、火を近くともしてこれを見るよりほかのことなければ、おのづからなどは、そらにおぼえ浮かぶを、いみじきことに思ふに

【意訳】
「何か贈り物をしてあげましょう。でも、実用的なものなんてあなたには似合わないわ……そうだ、あなたが読みたいって言っていたあれなんかぴったりよね」と、伯母さんは源氏物語を全巻くれた!!!!それも、箱に入ったフルセットで!!!!(゚∀゚ )三 三( ゚∀゚)あんな話やこんな話がいっぱい詰まった袋を持って帰る私の嬉しさなんて、もう例えようもない。伯母さんGJ(グッジョブ)。

帰ってから私は源氏物語を一気読みした後、今度はじっくり舐めるように読んだ。それにしても、自分の部屋で誰にも邪魔されずに源氏物語が読めるなんて!!!!今皇后にしてあげるって言われても「は?それより源氏物語の方が大事なんで」って思うくらい嬉しい。。・゚(゜´Д`゜)゚・。

すっかり『源氏物語』の本文を暗記してしまうくらい夜通し読んでばかりいたからか、「あれ?もしかして私、作者なんじゃない?」と密かにドヤ顔してしまうようになった。

伯母から源氏物語フルセットを贈られた喜びが、余すところなく伝わってくることでしょう。現代のオタク風に言えば「はあ……源氏物語尊さ5000兆点」と呟きながら夜な夜な読む菅原孝標女。あまりに読み込み過ぎた結果、自分が作者なのではないかと錯覚するまでに至ります。

夢にいと清げなる僧の、黄なる地の袈裟着たるが来て、「法華経五の巻をとく習へ」といふと見れど、人にも語らず。習はむとも思ひかけず。物語のことをのみ心にしめて、われはこのごろわろきぞかし、さかりにならば、かたちもかぎりなくよく、髪もいみじく長くなりなむ。光の元治の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこそあらめと思ひける心、

【意訳】
ある夜、寝ていたら夢で身分の高そうな僧が「法華経の第五巻を習いなさい」とか言ってきた。「そんなことを言われても困る」と思った私は特に誰かにその夢の話をしなかったし、わざわざ習うこともしなかった。

だって物語の方が大事だし、「私、菅原孝標女。どこにでもいる女の子。でも、2〜3年もして女盛りの年頃になれば、絶世の美少女になっているはずなの!ちょうど光源氏に愛された夕顔か、薫大将に愛された浮舟みたいにね!キャー!(●´ω`●)」って思ってたもん。

仏も目に余ったのか、「いい加減勉強しろ!」と夢で叱り出す始末です。しかし菅原孝標女は反省するどころか、「私はきっとイケメンにモテモテの儚い系美少女になるのだわ」と妄想に耽るのでした。

ここで注目なのは、数多い『源氏物語』の女性キャラクターの中から、夕顔と浮舟をチョイスしている点。菅原孝標女が憧れるのはツンデレの葵の上でもなければ、癒し系の花散里でも、妹系の紫の上でもありません。むしろ夕顔と浮舟のような、「特に身分は高くないが、健気で儚く、押しに弱い女性キャラクター」に自分を重ね合わせてはドキドキしていたのでしょう。

 

「いつまでも子供じゃいられない」。現実を見た女オタク。

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さこそ物語にのみ心を入れて、それを見るよりほかに行き通ふ類、親族などだにことになく、古代の親どものかげばかりにて、月をも花をも見るよりほかのことはなきならひに、立ち出づるほどの心地、あれかにもあらず、うつつともおぼえで、あかつきにはまかでぬ。

【意訳】
私はなにしろ物語の世界に没頭していたから、コミュ力はまるで無し。家族以外の人と交流することもなく、また過保護な親の元で月や花を見るくらいしかしてこなかった。そんな私がいよいよ宮で働くときの緊張といったら。夢の中をぼんやり彷徨っている気分。

やがて菅原孝標女は憧れの宮仕えをすることとなりますが、源氏物語に熱を上げていた自分には何もないことに気がつきます。「いとはかなくあさまし」(なんて夢見がちな私は愚かだったんだろう)とも書き綴っていますが、ようやく現実が見えてきたのでしょう。

このように、オタクは大人になった後、かつての自分の行動を「若さゆえの過ち」として恥じ、後悔することも珍しくありません。

昔より、よしなき物語、歌のことをのみ心にしめで、夜昼思ひておこなひをせましかば、いとかかる夢の世を見ずもやあらまし。

【意訳】
あーあ、昔から、つまらない物語や歌にばっかり執着しないで、しっかり仏道に心をかけていたらこんなことにはなっていなかったのにね。

光源氏のような殿方は現れず、平凡な夫と結婚。子どもが独立した後、夫に先立たれる……菅原孝標女は孤独な最期を迎えようとした矢先、仏教に救いを見出したところでこの物語は幕を閉じます。

 

1,000年前のオタク女子は、現代と変わらなかった。

古典と聞くと、同じ日本でも文化も生活も異なることから異世界のように感じる方も多いかもしれません。それでも、『更級日記』からは菅原孝標女というひとりの文学少女が「物語」に憧れていたみずみずしい日々が読み取れます。1,000年前に生きた彼女の姿は、現代のオタクと何も変わりません。

それを踏まえ、『更級日記』を読んでみれば新たな発見があるはずです。

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