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【映画化】『君は永遠にそいつらより若い』原作小説の魅力

小説家・津村記久子が2005年に発表したデビュー作、『君は永遠にそいつらより若い』が新鋭の監督・吉野竜平により映画化されます。今回は、映画化を機に原作小説に手を伸ばしてみようと思っている方に向け、原作のあらすじと読みどころを紹介します。

2021年9月17日から全国公開される映画、『君は永遠にそいつらより若い』(監督:吉野竜平)。佐久間由衣と奈緒によるダブル主演で注目を集めている本作は、芥川賞作家・津村記久子による同名のデビュー小説を原作としています。

2005年に発表された同作は、児童虐待やネグレクトといった社会問題を真正面から描いたことでも話題となりました。今回はそんな『君は永遠にそいつらより若い』のあらすじをご紹介しつつ、その魅力を解説します。

『君は永遠にそいつらより若い』のあらすじ

『君は永遠にそいつらより若い』は、卒業を間近に控えた22歳の大学生・堀貝佐世を主人公とする物語。佐世は、周囲からはやや変わり者だと思われているものの真面目な学生で、卒業後は地元に戻り公務員として児童福祉に関わることが決まっています。本作は、そんな佐世が社会人になるまでのわずかな期間に、大学やアルバイト先で出会い言葉を交わすようになった同世代の人々との関わりをめぐる物語です。

佐世が出会う人々は、それぞれに過去のトラウマや性体験の無さといった、他者に語りづらいコンプレックスや生きづらさを抱えています。佐世がしだいに強く惹かれていく大学の後輩・猪乃木楠子(イノギ)は中学生のときに巻き込まれた暴行事件による怪我と被害の記憶をいまでも抱えており、佐世が漠然と好感を抱いていた同級生・穂峰は、アパートの下の階に住む子どもがネグレクトをされているかもしれないということを気にかけながらも、自死という道を選んでしまいます。

実は、佐世が児童福祉に関わることを志したきっかけは、10代の頃にテレビの特番で見た、4歳の男の子の失踪事件がきっかけでした。何の関わりもないその男の子に対し、佐世は「探し出したい」という強い思いを抱いています。佐世のその漠然とした焦燥感や怒りはやがて、イノギの事件の記憶に正面から向き合うとともに、穂峰が最期まで気にかけていた子どもを助けたいという、衝動的でありながらも現状を打破するような行動へと繋がっていきます。

【魅力その1】誰の「生きづらさ」も過小評価しない物語

本作の大きな魅力のひとつは、佐世が関わるさまざまな人々の「生きづらさ」をめぐる物語でありながら、その「生きづらさ」の度合いを比べたり、無理に解決を目指そうとすることをしない点にあります。

たとえば、佐世のバイト先の後輩であるヤスオカという男性は、明るく、人目につくような容姿の持ち主ですが、巨根であるがゆえにセックスがうまくいかないという人知れぬ悩みを抱えています。

男の友達に話してもまともに相手をしてくれないのだという。そりゃおまえそれで結構な授かり物じゃないかと言うだけなのだという。ヤスオカ自身が、どれだけ真面目に自分の肉体が自分を阻害していると主張しても。

飲みの席でそのことをヤスオカに相談された佐世は、そのことをヤスオカほどには深刻に捉えられないということを率直に独白しつつも、

ふと、願ってもいないのに胸の大きな女友達のことなどを思い出した。芸事をするのでもない限り胸が大きくていいことはそんなにない。男にもてるといっても、それは然るべき場に出て行ってからのことだ。ただぼんやりと好きなことをして過ごすのに胸の大きさは必要がない、と彼女たちは嘆いていた。(中略)誰もがいつも、自分の殻とうまく折り合いをつけられるわけではないのだ。

と感じます。一般的には、幼い頃の暴行事件にまつわるイノギのトラウマや、穂峰が生前気にかけ続けていた子どものネグレクトといった問題のほうが、解決すべき重要なイシューであるという風に捉えられがちです。しかし実際には、自分の抱える問題が社会のなかでどれほどの重さ・軽さであろうとも、“誰もがいつも、自分の殻とうまく折り合いをつけられるわけではない”のです。本作は、そういった“自分の殻”が社会にフィットしないように感じることに徹底的に向き合い、それでもなおどうにか生き延びようとする人々の姿を丁寧に描きます。

【魅力その2】佐世というキャラクターの“ややこしさ”

また、主人公・佐世のユーモラスでありながらやや偏屈で不器用なキャラクターも、本作の大きな魅力のひとつです。

佐世は、大柄で化粧っ気がなく、22歳でいまだ男性経験のない自分のことを、“童貞の女”と称します。

わたしは二十二歳のいまだ処女だ。しかし処女という言葉にはもはや罵倒としての機能しかないような気もするので、よろしければ童貞の女ということにしておいてほしい。やる気と根気と心意気と色気に欠ける童貞の女ということに。誰でもいいから何か別の言葉を発見して流行らせて、辞書に載るまで半永久的に定着させてほしいと思う。

しくじった、と今は思う。イギリスのバンドが好きで、その真似ばかりしていた。女になるという発想以前に、彼らになりたいという願望が幅をきかせていた。(中略)でも結局、そんな自分を責める気にもならない。選択のしようもなく、わたしはそうでしか在れなかったことがよくわかっているから。だいたい、わたしと同じようなことをしていても、器用な子なら持つべきものは持ってやることはやれているから。なんにしろ、わたしが並外れて不器用なのは、わたしの趣味のせいではなくわたしの魂のせいだ。

佐世はこのような自己認識のとおり、“並外れて不器用”であるがゆえに、ユーモアで武装して人と関わろうとするような部分があります。そのユーモアはときに無遠慮かつ無礼であるために人を苛立たせたり、ときには相手との関係を台無しにしてしまうこともありますが、佐世がひっそりと好意を寄せていた穂峰は、佐世にこんな言葉をかけてもいます。

まあでもねえ、おれはそういう損しちゃう人が好きだ、なんていうか、なんに対してってわけじゃないけど、うまい人よりへたな人のほうがおもしろいよ、と穂峰君は手酌で焼酎を注ぎ足しながら言った。それこそ損だよ、へたうってばかりの自分だからこそ、うまい側にあやからないと、と反論すると、どうせ心にもないんだろ、そんな考え、と穂峰くんはにっと笑った。

佐世はまさにこの、“へたな人”の代表格のような人物です。自分の大切な人々がなにかに苦しんでいる現状に無力感を抱き、すこしでもそこに手を差し伸べたいと思いながらも、いつもそれを直接的な言葉にはできずにいます。同じようなもどかしさを感じている人であれば、このような佐世の性格には、強い共感を覚えるのではないでしょうか。

【魅力その3】佐世とイノギのあいだに生まれる“連帯感”

本作は、友人の自死やネグレクト、過去のトラウマといったさまざまな問題に翻弄されて悩む人々を描く群像劇でもありながら、同時に佐世とイノギの絆の物語でもあります。

イノギは端正な顔立ちと社交性を持つ、佐世とは一見真逆のタイプ。佐世は、大学の教室で、友人に頼まれたノートのコピーをとらせてもらえないかと持ちかけたことをきっかけに初めてイノギと喋ります。佐世は以前から、ときどき目にするイノギの姿をよく覚えていた一方で、「きっと話しかける日はこないだろう」と漠然とした後ろめたさのような気持ちを抱いていました。

イノギは佐世の申し出を訝しがりつつも、友人が授業のノートを必要としている理由を尋ねます。すると、滔々とうとうくだらない“嘘”を述べはじめた佐世に、イノギは思わず興味を抱いてしまいます。

「紙ってさ、あれでしょ、静電気でハウスダストを吸っちゃうらしくて、知ってた? 他の人のノートさわるとくしゃみがとまんなくなるんだって。そのせいで一回、好きだった男の子のルーズリーフにツバとばしちゃったことがあって、でもそれがきっかけで今は付き合ってるんだけど(中略)だからわたしが代わりに誰かから借りて、パソコンのメールに打ち直して彼女に送るってことになったんだ。五百円で。ハンバーガー四個買えるし」

結局、佐世にノートを貸すことになったイノギ。それをきっかけにふたりは徐々に親しくなっていき、佐世はやがて、イノギから、彼女が中学時代に受けた暴行事件の傷についての話を聞くこととなります。

佐世はある晩、部屋を訪れていたイノギから

「もうどうせこっちで誰とも出会わんのやったらさ、わたしでええんちゃうかな」

と誘いを受け、イノギと体を重ねます。佐世はその後、イノギのことを“好きなのだ”と自覚しますが、その気持ちは、恋愛感情と性欲のほかに、強い連帯感が混じったものであるように感じられます。イノギは過去の傷のことを初めて語る相手として佐世を選び、佐世も、その告白を無力感とともに受け止めるのです。このふたりの関係性には、社会の不条理に失望しながらもそれを共有し、分かち合いたいという、恋愛も友情も超えた強い思いがあるように思えます。

おわりに

本作のタイトルである『君は永遠にそいつらより若い』は、佐世が児童福祉司を志したきっかけである4歳の男の子の失踪事件を振り返り、いまだ行方のわからないその子のことを思うシーンに出てくるフレーズです。

そういえば昨日はあの子の誕生日だった。あの子は十八になっていた。青年になりつつあるのだろうか。わたしはそのことに、暗い救いを覚えた。君を侵害する連中は年をとって弱っていくが、君は永遠にそいつらより若い、その調子だ、とわたしの悪辣なまでに無責任な部分が笑った。

この言葉は、かつて自分より立場が上の者に虐げられたり心を傷つけられた経験のある人全員にとって、どこか明るい響きを持っているのではないでしょうか。本作は、自分や周囲の人々が負わされた傷に向き合うと同時に、その次の世代の人々が傷つけられてしまうことを拒否するような覚悟と気迫に満ちた作品です。映画化をきっかけに原作小説に興味を持たれた方もぜひ、書籍に手を伸ばしてみてください。

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