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【『おいしいごはんが食べられますように』ほか】芥川賞作家・高瀬隼子のおすすめ作品

『おいしいごはんが食べられますように』で第167回芥川賞を受賞した作家、高瀬隼子。社会の“ふつう”を違った視点から捉え直すような作品を多く発表し、いま注目を集めています。そんな高瀬隼子のおすすめ作品のあらすじと、読みどころを紹介します。

短編小説『おいしいごはんが食べられますように』で第167回芥川賞を受賞した作家、高瀬隼子。シンプルで癖のない文体を用いつつ、日常生活において常識・前提とされていることを違った視点から捉え直すような作品を多く発表しています。

今回は、そんな芥川賞作家・高瀬隼子のおすすめ作品のあらすじと読みどころを紹介します。

『おいしいごはんが食べられますように』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4065274095/

『おいしいごはんが食べられますように』は、“食”を巡る圧力に違和感を覚える人たちの姿を描く短編小説です。高瀬は本作で第167回芥川賞を受賞しました。

本作は会社員の男性・二谷と、その同僚の女性・押尾の2名の視点から描かれます。二谷は会社ではそつなく働き、同僚たちからも好感を持たれていますが、食事をとるという行為に対し、内心でどこか嫌悪感に近い感情を抱いています

“カップ麺でいいのだ、別に。腹を膨らませるのは。ただ、こればかりじゃ体に悪いと言われるから問題なのだ。一日三食カップ麺を食べて、それで健康に生きていく食の条件が揃えばいいのに。一日一粒で全部の栄養と必要なカロリーが摂取できる錠剤ができるのでもいい。それを飲むだけで健康的に生きられて、食事は嗜好品としてだけ残る。アルコールや煙草みたいに、食べたい人だけが食べればいいってものになる──これまでに何度となく考えてきた想像をなぞりながら、目はぼんやりと藤さんとその周辺に向けていた。”

一方の押尾は、食べること自体は好きではあるものの、人と一緒に「おいしい」と言い合いながら食卓を囲むことを苦手だと感じています

“おいしいって人と共有し合うのが、自分はすごく苦手だったんだなって、思いました。苦手なだけで、周りに合わせてできてはしまうんですけど。甘いのが好きとか苦手とか、辛いのが好きとか苦手とか、食の好みってみんな細かく違って、みんなで同じものを食べても自分の舌で感じている味わいの受け取り方は絶対みんなそれぞれ違っているのに、おいしいおいしいって言い合う、あれがすごく、しんどかったんだなって、分かって。”

二谷は同じ職場の芦川という女性と交際しています。芦川は非常に繊細かつ家庭的な性格で、ときどきは自炊をしたほうがよいと、二谷にたびたび提言します。“自分で作ったあったかいものを食べると、体がほっとしませんか”という芦川の言葉に二谷は強い嫌悪感を覚えるものの、それを口に出すことはしません。

しかし、周りから常に配慮され、壊れもののように扱われている芦川に対して同じく反発心を抱いていた押尾は、あるとき二谷に

“「わたしと一緒に、芦川さんにいじわるしませんか」”

と提案します。そして、二谷と押尾は、芦川に対しある“嫌がらせ”をするようになります。

芦川を中心としたステレオタイプのキャラクターや、戯画的に描かれる職場での人間関係には、読み心地の悪さを感じる方も少なくないかもしれません。しかしそれゆえに、「きちんとしたものを食べたほうがいい」「ごはんはひとりで食べるよりも、人と食卓を囲みながら食べるほうがおいしい」といった世間からの押しつけが、よりグロテスクなものとして浮き彫りになっています。

食べることに関して抑圧を感じ、人知れず違和感を抱いてきた人はもちろん、おいしいものを人と食べることが何よりも好き、という方にもぜひ手にとっていただきたい1冊です。

『水たまりで息をする』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B098QNK41Q/

『水たまりで息をする』は、水を突如嫌がるようになった夫とその妻の生活を描く、2021年発表の作品です。本作は同年、第165回芥川賞にもノミネートされ注目を集めました。

物語は、衣津実いつみという主婦の視点で進みます。衣津実はあるとき、夫が数日風呂に入っていないことに気づき、「お風呂入った?」と声をかけます。夫からの返事は、「風呂には、入らないことにした」というものでした。夫は水道水を“くさい”と感じるようになったと言い、数日、風呂に入らずに過ごします。しびれを切らした衣津実が風呂場まで夫を連れていき服を脱がせますが、彼はすでに、シャワーを浴びることができなくなっています。

“水がくさいんだよ。それで、それが体に付くと、かゆい感じがする。実際にかゆいわけじゃなくて、なんだろう、例えば古本屋の倉庫の奥の段ボールに十何年も前から眠っている埃まみれの茶色い古書があったとして、それを触るとなんとなく手がかゆくなる感じがする、そういう感覚のかゆさというか。これまでどうして平気でこんなものに触れていたんだか分からない。こんなくさいものを飲んだり、体に付けたりしていたなんて、思い出すと、それも嫌になる。ごめん。”

風呂を嫌がる夫の態度は、日に日にエスカレートしていきます。ミネラルウォーターや水道水に触れることができなくなった夫はいつからか、雨が降ると外出し、濡れた体で帰ってくるようになります。夫のそのような行動はやがて会社や義母の耳にも入りますが、衣津実は義母から、彼が風呂を嫌がるようになったのは夫婦の問題だと責められてしまいます。

共働きで忙しく、食事はほぼ市販の惣菜で済ませていた衣津実たち夫婦の生活を、義母は当初から“おままごとみたいな結婚”と揶揄していました。夫を支えるのが妻の役目だと信じて疑わない義母は、風呂の問題も衣津実の責任だと考えているのです。水道水に触れられなくなってしまった夫と、そんな彼に対する家族や世間の冷たい目に嫌気が差した衣津実は、すこしずつ社会から弾き出され、孤立していきます

“水を嫌がる”という行為からは狂気のようなものを連想するかもしれませんが、本作があぶり出すのはむしろ、私たちの社会が内包している狂気だと言えます。ハラスメントや差別心を巧妙に隠しながら社会生活を営む人々と、そんな社会から疎外され、“ないこと”にされている人々の姿を丹念に描く、非常に緻密な作品です。

『犬のかたちをしているもの』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4087444279/

『犬のかたちをしているもの』は、2019年発表の短編小説です。高瀬は本作で第43回すばる文学賞を受賞し、作家としてデビューしました。

本作の主人公は、30歳の女性・薫。恋人の郁也と半同棲をしていますが、薫は長らく郁也とセックスをしていません。薫は21歳のときに卵巣の手術をしてからというもの、異性とセックスをしていると“自分は大切にされていない”という気持ちが湧いてきて、憂鬱な気分になってしまいます。

“男の人と体を重ねて、特に切羽詰まったような真剣な顔で腰を振っているのを見ると、この人、わたしが卵巣の手術をしたって知ってるのに、よくそんな風にできるなあ、って頭のどこかで考えてしまう。想像しないのかな、手術で切り取られた臓器のこと、縫われたこと、失っていること、傷ついていること。なんていうか、ネガティブなイメージがわたしのここには集結してるみたいに、感じるのに。この人は、そんな風には感じないのかな。”

薫は郁也に自分はセックスがしたくないということを伝え、郁也もそれを了承した上で交際を続けていました。しかしある日、郁也に呼び出された薫が喫茶店に向かうと、そこにはミナシロと名乗る見知らぬ女性がいました。ミナシロは、自分が郁也にお金をもらってときどきセックスをしていたこと、その際に“間違い”があって子どもができてしまったことを告げ、自分が子どもを産み、郁也がその父親になることを許してほしいと言います。

それは薫に郁也と別れてほしいということか、と尋ねると、ミナシロはそうではないと言い切りました。

“「子どもを育てたくない。産むのだってこわいし、痛いから本当は嫌だけど、堕ろすのはもっとこわい。だけど育てる気はありません。育てられない。もともと、こんなはずじゃなかったんです。子どもなんてできるはずじゃ」(中略)
「間橋さんが育ててくれませんか、田中くんと一緒に。つまり、子ども、もらってくれませんか?」”

ミナシロの非常識な要求に一度は怒りを覚えた薫でしたが、考えを巡らせるうちに、子どもをもらうという選択肢もありかもしれないと思い始めます。薫は子どもを可愛いと思ったり、欲しいと思ったりしたことがこれまでなかったものの、女性ならば当然子どもを産んで育てるものだという世間からの視線に晒され続けたことでいつしか、子どもがいればそれだけで楽になれるのではないかと思うようになっていました。

本作は、女性の体が社会の中で消費の対象のように扱われてしまうこと、そして、女性だけの問題にされ続けてきた「子どもを産む/持つ」ということについて、真正面から疑問を投げかけるような物語です。

作中で薫は、子どもの頃に飼っていたロクジロウという名前の犬のことをたびたび思い出します。

“愛するって、こういうことなんだ、って分かった。ロクジロウはわたしより先に死ぬんだって理解した頃から、分かり始めた。誰にも感じたことのない深い祈るような感情が、自分の中にあった。この子が助かるならなんでもするのに、っていう祈り。この子が幸せでありますように、この子を幸せにできますように、幸せにしなくちゃ、なにがなんでも、っていう覚悟みたいな決意みたいな。”

薫はロクジロウに抱いていた気持ちのように人を愛することができないか、性愛以外の感情でパートナーと関係を結ぶことができないか、終始悩み続けます。薫の孤独で切実な闘いに共感を覚える読者は、きっと多いはずです。

おわりに

高瀬隼子の作品には、社会から静かに抑圧を受け続け、声をあげる気力も失われた人々がしばしば登場します。その抑圧に対し、登場人物たちがとる選択肢は世間の思う“ふつう”からは外れたものかもしれませんが、彼らの行動・言動にどこか爽快感や親近感を覚える方もいるのではないでしょうか。“ふつう”という圧力に息苦しさを感じている人にこそ、ぜひ高瀬隼子の作品を手にとってもらいたいと思います。

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