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「積ん読」を解消!挫折しがちな名作文学レビュー。

英BBCでの報道をきっかけに注目を浴びた日本の読書文化、「積ん読」。「読み始めたはずが、内容が理解できず挫折してしまった」というような理由から“積ん読”されがちな世界の名作文学のあらすじをご紹介します。

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先日、BBCの特集において日本のとある読書文化が大きな注目を浴びました。それは、“積ん読”。積ん読とは、手に入れた書籍を読まず、本棚や机に積んだままにしておく状態を意味する言葉です。以前より本をこよなく愛し、本の収集を好む「ビブリオフィリア」という言葉も存在していましたが、「積ん読」は意図せず読まない本が増えてしまう状態。

また、「積んでおく」と「読(どく)」をかけた日本語ならではの造語は海外に対応する言葉がなく、また海外の読書家から「自分もやりがちだ」、「この現象って名前あったのか」といった声が寄せられたとされています。

実際にみなさんの家にも、「いつか読もう」と思っているものの、いつの間にか積ん読になっている……という作品があるかもしれません。

単純に「手に入れたはいいが、読む時間がない」といった理由もあれば、「よく聞く作品だし、一応読んでみようかな」と読み始めたはずが、途中で挫折してしまったという理由から、「積ん読」本は増えていきます。しかし一度「挫折してしまった作品」こそ、あらためて読むことで新たな発見があることも事実です。

今回、P+D MAGAZINE編集部は“積ん読”になりがちな世界の名作文学についてレビュー。挫折して“積ん読”にしている方も、まだ手にとったことがない方も必見です。

 

「これは一体誰?」難解な登場人物の名称。/『カラマーゾフの兄弟』

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出典:http://amzn.asia/d/3F9lMJT

これまで数多くの方が挫折したであろう作品の定番といえば、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』。新訳版が出るたびに書店でも大きく取り上げられ、「読んでみよう!」と思い立ったことがあるそこのあなた。あまりにも難解な作品にそのまま本を閉じてしまう……という方も多いのではないでしょうか。

『カラマーゾフの兄弟』は、日本文学にも大きな影響を及ぼしています。村上春樹は『グレート・ギャッツビー』、『ロング・グッドバイ』とともに『カラマーゾフの兄弟』を「人生で巡り会ったもっとも重要な本」として紹介しているほか、著書の中でこうも言い切っています。

世の中には二種類の人間がいる。『カラマーゾフの兄弟』を読破したことのある人と、読破したことのない人だ。

『ペット・サウンズ』 あとがきより

では、『カラマーゾフの兄弟』はなぜ挫折してしまうのでしょうか。その最大の理由は根本的なところにあると考えられます。

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『カラマーゾフの兄弟』の登場人物がいかにややこしいかは、以下のあらすじを見れば十分にうかがえます。

【『カラマーゾフの兄弟』のおおまかなあらすじ】
強欲で性格に難がある成り上がりの地主、フョードル・パーヴロウィチ・カラマーゾフ。彼には長男のドミトリイ、次男のイヴァン、三男のアレクセイという3人の息子たちがいた。
ある日、フョードルは何者かに殺害され、部屋にあったはずの3,000ルーブルも盗まれてしまう。フョードルとグルーシェンカという女性を巡って確執が生じていたドミトリイが真っ先に疑われるが、果たしてその犯人は誰なのか。

この作品は端的にいえば「父親・フョードルを殺害した犯人をめぐる一家の物語」ですが、登場人物の呼び名が場面によって異なること、同じカラマーゾフが複数人いることから誰が何を言っているのか把握しづらいのです。

長男・ドミトリイはミーチャやミーチェニカ、次男・イヴァンはワーニャやワーネチカ、三男・アレクセイはアリョーシャ、アリョーシェチカといったように、カラマーゾフの兄弟たちは愛称で呼ばれます。この多岐に渡る呼び名が、読者の混乱を招いてくのです。

「ミーチャ! ミーチャ!」と、フョードル・パーヴロヴィッチは弱々しい神経的な声で、涙を無理に絞り出しながら叫んだ。「いったい生みの親の祝福は何のためなんだ? もしわしがおまえをのろったら、そのときはどうなるのだ?」
「恥知らずな偽善者!」と、ドミトリイ・フョードロヴィッチは狂暴にどなりつけた。

『カラマーゾフの兄弟』より

そんなややこしい『カラマーゾフの兄弟』ではありますが、「人と神」の関係性を描いた重厚な作品であると同時に「フュードル殺害の犯人は誰なのか」というミステリーの要素を持ち合わせた、比肩するのもののない作品です。人物像をとらえるまでは慣れないかもしれませんが、兄弟たちをめぐる運命や、事件の真相に積ん読していた人も、読み進めれば思わずページが止まらなくなることでしょう。

 

“チャカポコチャカポコ……文章の癖が強すぎる/『ドグラ・マグラ』

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出典:http://amzn.asia/d/8IbYNiD

探偵小説家、夢野久作の代表作である『ドグラ・マグラ』。あまりにも難解で狂気に満ちたこの作品は、小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、中井英夫『虚無への供物』と並んで「日本探偵小説界の三大奇書」とされています。

では、『ドグラ・マグラ』はどのようなストーリーなのでしょうか。

【『ドグラ・マグラ』の簡単なあらすじ】
“ブーンという時計の音で目覚めた、語り手の“私”。記憶を失っていた“私”は、ほどなくして現れた若林教授から、「“私”は記憶を失っていること」、「ここは九州帝国大学の精神病科の病室であること」、「“私”は精神異常を利用した犯罪に巻き込まれており、失われた記憶が事件解決の鍵となること」を告げられる。

自らの記憶に関わる資料を読むことで“私”は事件の全貌に近づくが、同時に自身がわからなくなっていくのだった……。

『ドグラ・マグラ』を挫折してしまうのは、なんといっても以下の要因があるからでしょう。

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例えば冒頭の、“私”が時計の音で目覚めた場面はこのようになっています。

私は少し頭を持ち上げて、自分の身体を見廻わしてみた。
白い、新しいゴワゴワした木綿の着物が二枚重ねて着せてあって、短いガーゼの帯が一本、胸高に結んである。そこから丸々と肥って突き出ている四本の手足は、全体にドス黒く、垢だらけになっている……そのキタナラシサ……。
……いよいよおかしい……。
怖わ怖わ右手めてをあげて、自分の顔を撫でまわしてみた。
……鼻が尖んがって……眼が落ち窪んで……頭髪が蓬々と乱れて……顎鬚がモジャモジャと延びて……。
……私はガバと跳ね起きた。
モウ一度、顔を撫でまわしてみた。
そこいらをキョロキョロと見廻わした。
……誰だろう……俺はコンナ人間を知らない……。

『ドグラ・マグラ』より

ふと気づいたら、自分の顔さえも思い出せなくなっていた……。不安定になっている精神状態が、たどたどしい片仮名を巧みに使いながら無機質に表現されていることがわかります。

『ドグラ・マグラ』は記憶喪失の“私”が語り手となっているため、このようなたどたどしい文章が続きます。途中からは“私”が事件の捜査のために教授から提供される資料を読む構造となりますが、この強烈な文章で綴られる資料がさらに読者を遠ざけています。

▼あ――ア。さても恐ろし地獄の話じゃ。しかも私の凹んだこの眼で、チャンと見て来た事実の話じゃ。今日が封切、お金は要らない。要らぬばかりかその聞き賃には、こんな書物を一冊上げます。私が只今唄うております。歌の文句の活版刷りです。あとで何やらマヤカシ物をば。無理に買わせる手段てだてじゃないかと。疑うお方があるかも知れぬが。ソンナ心配一切御無用。これは私の道楽仕事じゃ。人類文化の宣伝事業じゃ。何も参考、話の種だよ。サアサ寄ったり、聞いたり見たり……外道――祭ア――エ――文。キチガ――ア――イ――地イ獄ウ――……スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……

『ドグラ・マグラ』より

作中に登場するこの資料は、精神病を専門とした正木教授によるもの。精神学が軽んじられる現状に異を唱える正木教授の語りを、資料として文章に起こしているために「理解が追いつかない」、「チャカポコチャカポコしか印象に残っていない」という読者が続出しています。

しかし、『ドグラ・マグラ』は後半で“私”の正体や事件の真相が徐々に明らかになっていく様子は高い評価を受けており、読破した人は作品への理解を深めようと何度も読み返す傾向にあると言われています。

果たして、タイトルにもある『ドグラ・マグラ』とは何のことか。そして、事件の真相と“私”の正体は何なのか。読破したとき、あなたは思わず作品の巧みさに感服するはずです。

 

読者が置いてきぼりにされる感覚。/『わたしを離さないで』

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出典:http://amzn.asia/d/hMMAQn6

2017年にノーベル文学賞を受賞した、カズオ・イシグロの作品『わたしを離さないで』。ハリウッドで実写映画化されたほか、日本では舞台化、テレビドラマ化までされており、「原作小説も読んでみよう」と手に取るも挫折してしまう人が少なくないといわれています。

挫折してしまう理由は、主人公であり、語り手のキャリーにありました。

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『わたしを離さないで』は、キャリーの語りで物語が進んでいきます。彼女は幼少期から、31歳になった現在までに起こった出来事を振り返りますが、最初からキャリーはすべてを明らかにしていません。聞き慣れない言葉が突如として現れるからか、結果として読者の中では疑問が次々と生じることとなります。

わたしに劣らずいい仕事をしているのに、半分も評価してもらっていない介護人がたくさんいます。そういう人からすれば、わたしがアパートや車を持ち、介護する相手を選ばせてもらうなど、どれもきっと腹立たしいでしょう。それにヘールシャム出身だということも。ヘールシャムと聞いただけで身構える人がいます。キャシー・H、あいつはいいさ、と言います。相手を選べるんだから。おまけに、選ぶときはいつも同類を選ぶ。ヘールシャムとか、ああいう特別な場所の出身者をな。成績だってよくもなろうさ……。

『わたしを離さないで』より

記憶をたどりながら、主観的に進んでいくキャリーの語り口には、戻らない日々を惜しむ気持ちが含まれており、読者に静かな感動を与えます。抑圧されたようなトーンだからこそ、少しずつ紐解かれていく彼女たちの残酷な運命がより強く印象付けられるのでしょう。

キャリーが見聞きしたものが、飾り気のない口調で淡々と語られることに違和感を持つ方もいるかもしれません。しかしその簡潔な言葉の裏には、架空の世界でありながらもどこかリアリティが潜んでいます。ぜひ、キャリーの言葉から、作品の物悲しさを味わってみてください。

(合わせて読みたい
【カズオ・イシグロ、ノーベル文学賞受賞!】『わたしを離さないで』TVドラマじゃ伝わらない、原作の魅力。

 

おわりに

「いつか読もう」、「今度こそ読もう」と思いつつ、なかなか重い腰が上げられないことから生まれる“積ん読”。その背景には、理解できなくて投げ出してしまったり、作品の魅力に気がつくことができていないこともあるのでしょう。

きっかけさえ掴めれば、きっと皆さんの本棚にある積ん読本も少なくなるかもしれません。今一度、本棚にある積ん読本を手にとってみてはいかがでしょうか。

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