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「食堂のおばちゃん」から作家へ 山口恵以子おすすめ4選

2013年『月下上海』で第20回松本清張賞を受賞した山口恵以子は、「食堂のおばちゃん」から作家へ転身したという異色の経歴で話題になりました。下町の人の暮らしを温かな眼で綴った小説・エッセイから本格ミステリーまで、著者のおすすめ作品4選を紹介します。

『いつでも母と 自宅でママを看取るまで』独身還暦の著者が91歳の母を自宅で看取る


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 高齢で認知症の母の介護から、自宅での看取り、喪主として葬儀を終えるまでの日々を綴った手記です。
 厚生労働省の調べによれば、国民の7割近くが「自宅で最期を迎えたい」と希望しているのに対し、実際に在宅死できた人は15%(2020年)で、人は病院で死ぬもの、という固定観念は根強くあるといえるでしょう。
 入院していた母を連れて帰り、自宅で看取ろうと決意した著者。それは、作家として芽が出なかった時期も黙って見守り、還暦になるまで居心地のよい実家暮らしをさせてくれた母への感謝の気持ちがあるからでした。著者は医師に掛け合います。

「母を家に帰すことはできますか?」
「できますが、その場合は、お看取りのための帰宅となります」
 点滴の管を全部抜いて自宅で看取ることになるという。
「口から栄養が補給できない状態で点滴もやめて、それで本人に苦痛はありませんか?」
「ありません。皆さんとても安らかに逝かれます」
「大体、どのくらい命が保ちますか?」
「平均して2週間です」
 私の心は決まった。(暮れに退院してから)1月13日に尿が止まった。岐阜県で在宅医療をしている小笠原文雄医師の書いた『なんとめでたいご臨終』には「旅立ちの日が近づいたサイン」として、死の4日前に尿が出なくなることが多いと書いてあり、私はいよいよ別れが近づいていることを覚悟した。本書には、家族が介護できなくても、1人暮らしでも、様々なサービスを利用すれば最期まで自宅で過ごせると、多くの実例を挙げて書いてある。

 慣れ親しんだ自宅で安心して亡くなった母。著者はそれができたことに大きな達成感を覚えます。
 生前の母のクスッと笑えるエピソードも満載です。例えば、母が突然、「夫と同じお墓に入るのは嫌だ」と言い出したが、正気なのか呆けてしまったのか、高齢独身の娘を心配した母が婚活詐欺に遭いそうになった、最後の母娘旅行で行った京都の高級旅館・炭屋での珍事件、など。
 本書では、仕事を持っていたり、他に頼る家族が少なかったりしても、訪問介護や訪問入浴、医療との連携により老親を自宅で看取る方法が模索されます。その際、かかった経費などもつまびらかにし、これから在宅看取りを考えている人への実用書にもなっています。

『食堂のおばちゃん』おばちゃんに話を聞いてもらいたくて、今日も人々は食堂に集う


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 東京下町の「はじめ食堂」。オムライスにエビフライに焼き魚定食など、おばちゃんの作る懐かしい家庭料理を求めて客が集まります。常連客は、妻の作る料理が口に合わず家庭の味を求めてこっそり通うIT長者や、いつもカウンターで本を読んでいる地味な中年女だけれど実は銀座のクラブのママとか、食堂に似合わぬハイブランドで固めたモデル風の素性の知れない女とか、しばらく店に顔を出さなければ孤独死を疑った方がよさそうな独居老人など、ちょっと訳ありな人たち。そんな客の中で、おばちゃんが一番心配しているのは25歳の青年・万里ばんりでした。万里は、仕事が長続きせず、今は実家暮らしで作家を目指していると言いますが、実質は親のすねかじり。おばちゃんは、アルバイトで万里を雇うことにします。すると、万里は意外にも要領も愛想もよく、おばちゃんは彼を見直します。

 この器用さが万里の諸刃もろはつるぎではないか。器用貧乏と言えばいいのか、何処へ行ってもすぐにそこそこ仕事が出来るようになるので、先が見えて飽きてしまう。「仕事なんか、またすぐに見つかるさ」と思っている。裕福な両親の庇護下にいなければ、もう少し危機感を持ったはずだ。優しくて良い子なんだけど……、人生を舐めている。

 子どもの頃から美味しいものを食べてきた万里は舌が肥えており、彼が提案した新メニューや味付けはお客さんに好評で、おばちゃんはこれが彼の天職では、と思いますが、万里の考えはどうでしょうか。
 著者が実際に食堂で働いていたこともあり、プロならではの調理のコツも出し惜しみせず書かれています。

 オムライスは、卵3個でミディアム・レアのオムレツを作り、型抜きしたチキンライスの上に載せる。スプーンを入れると卵がほどけ、黄色い溶岩が流れ出すように赤いライスを覆っていく豪華版だ。チキンライスをベチョベチョにしないことが大切。ご飯を固めに炊くのも、鶏肉と玉ネギの炒め汁を捨てて水気を切るのも、ご飯をさらりと仕上げるため。

 読んでいるだけで美味しさが感じられ、料理上手になれる1冊です。

『婚活食堂』悩める婚活女子へ。お見合い経験43回の「食堂のおばちゃん」が答えます


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 おでんが美味しい「めぐみ食堂」。名物女将・恵に結婚の相談をしたい人が毎夜訪れます。
茅子かやこは、20代後半の娘と2人暮らし。一向に結婚しそうにない一人娘・咲子を残しては「死んでも死にきれない」と、恵に愚痴をこぼします。咲子のことを知る恵は、知り合いの男性に咲子のことを話題にします。

「美人で性格も良いんだけど、内気で無口で人見知りなの。だから男の人と2人きりになると、全然話が出来なくて、結婚に至らないのよ」
「美人で内気で無口なんて、最高じゃないか。なんなら俺がもらってやるよ」
「今の若い男の人って、あなたみたいに強くないのよ。ちょっと押して反応がないと、もうダメだと思って引っ返しちゃうのね。要するに、相手からフラれたくないんでしょう。OKしてくれない女性に、押して押して押しの一手で寄り切って……なんて、今はないのね」
「情けない」
 もったいないなあ……。昔なら人見知りで無口なことは女の美点だった。しかし、時代は変わってしまった。女性にも自己プロデュース能力が求められる時代に突入したのだ。

 恵は、茅子にある提案をします。咲子を結婚させるための荒療治とは、いったいどんなことでしょうか。
 本作には、蟹面、牛スジの煮込み、茶飯、トマトの冷やしおでんなど、読んでいるだけでお腹が空きそうな料理の数々も登場し、魅力です。

『夜の塩』心中に見せかけた男女の死の背後に、凄絶な政治汚職か。松本清張賞受賞作家による渾身作


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 戦後間もない東京。十希子ときこは、父を戦争で亡くしたものの、母・保子が高級料亭の仲居をして女手ひとつで育ててくれたため、お茶の水女子大を卒業し、名門私立高校の教師になることができました。同僚の教師と婚約もし、日々は充実しています。
 そんなある日、友人の葬儀のために熱海へ行くと言って出かけた母が、温泉旅館で店のお客だった男と心中した、との報せが入ります。高校でもこのスキャンダルは噂になり、十希子は学校を去ることに。婚約も破棄されます。
 この男は前岡という商社の資金課長で、架空取引の疑いで検察に調べられる直前に、保子と無理心中した、との見方が濃厚でした。けれど十希子は、誇り高い母が客と情死したということがどうしても腑に落ちません。偶然知り合ったフリーの記者・津島は言います。

「心中じゃないと思うんだ。2人が泊まった旅館でも取材したんだが、様子が変なんだ。情交の痕跡がない。俺は心中した男女の取材を何件もした。例外なく、今生の想いを込めてやりまくってから死んでいた。しかし、あんたのお母さんと前岡には、その形跡がない。旅館で一晩過ごしたっていうのに、何もしないまま死ぬのは不自然だ。前岡とあんたの母親は誰かに殺された後、心中を偽装された可能性がある」

 十希子は、母が働いていた料亭に潜り込んで働き、日々やって来る政財界の重鎮たちの密談に耳をすませ、事件の真相に近づこうとします。そこで分かったのは、前岡が検察の取り調べを受ければ、気の小さい彼は嘘をつき通すことが出来ず、政治家への裏金のルートが露見してしまうため、口封じのために殺されたかもしれない、ということです。また同時期、大手製薬会社が新発売した睡眠薬の服用者に突然死が多発するのですが、製薬会社が厚生労働省の役人に賄賂を渡し、十分な審査なしに、欠陥薬品に認可が下されていたことも明るみになります。そして、母の心中と贈賄という、まったく無関係に見える事件が裏ではつながっていたのでした。
 汚職事件が頻発した昭和30年代を舞台にした、本格社会派ミステリーです。

おわりに

 下町の人々の温かさと庶民の偉大さを感じさせてくれる人情話から、本格ミステリーまで幅広い作風が持ち味の山口恵以子。そこには、ひたむきに生きる人へのエールを読み取ることができ、どの作品にも美味しそうな料理が出てくるのも特徴です。そんな山口恵以子作品を味わってみてはいかがでしょうか。

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