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将棋ファン必読の名著、山口瞳の『血涙十番勝負』『続血涙十番勝負』! 大山康晴、中原誠、米長邦雄、加藤一二三などとの伝説の真剣勝負の裏側をいま、初めて明らかにする!

将棋ブームといわれる昨今、文壇きっての愛棋家だった山口瞳が、1970年代前半に大活躍した第一線棋士たちと、涙ぐましいほどの“真剣勝負”を繰り広げた、名著『血涙十番勝負』、『続血涙十番勝負』が2冊揃ってP+D BOOKSより復刊。「小説現代」連載当時の担当編集者だった宮田昭宏氏が、当時の思い出や裏話等を初めて語ります。

そして『続血涙十番勝負』は

基本、飛車落ち戦だった『血涙十番勝負』は、錚々たる面々との対戦ながら、3勝1分6敗という戦績でした。将棋の師匠でもあった山口英夫八段との対局に勝利したことで飛車落ちを卒業し、手合いが角落ちとなるのです。
そんな中、続編として始まった『続血涙十番勝負』。今回も常勝将軍、木村義雄を始めとして、“ひふみん”加藤一二三九段、内藤国雄九段、大内延介八段と“最強”揃い。前回以上の苦戦は必至です。

さて、その戦績は……。引き続き、宮田昭宏氏に『続血涙十番勝負』について語ってもらいます。
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『血涙十番勝負』で死闘を演じた米長邦雄九段と、にこやかに談笑する山口

担当者・ミヤ少年の思い出

宮田昭宏

一九七〇年の「小説現代」一月号に掲載された、第一番「小説将棋必勝法 二上達也八段」にはじまった、『血涙十番勝負』は、将棋のプロ棋士を相手に、山口瞳さんが、飛車落ち戦を戦い、その対局を小説化したものです。この二上達也戦のあと、山田道美八段、蛸島彰子二段(平手戦)、米長邦夫八段、中原誠十段、芹沢博文八段、桐山澄人六段、大山康晴名人、原田康夫八段、山口英夫五段という錚々たる方々との対戦でして、山口さんは、三勝一分六敗という成績をあげました。そして、その最終戦で、将棋の師匠である山口英夫五段との対局に勝った山口さんは、許されて飛車落ちを卒業、手合いが角落ちということになりました。
当時は、山口さんが書かれる通り、「大山(康晴)・升田(幸三)の巨匠に、二上(達也)・加藤(一二三)・有吉(道夫)の強豪中堅があり、内藤(国雄)・灘(蓮照)の妖刀があり、塚田(正夫)・丸太(祐三)・原田(康夫)の老練が配される。ここに中原(誠)・米長(邦夫)の新鋭花形が加わって、群雄割拠の時代となった(括弧内は筆者)」という背景があったのは言うまでもありません。さらに、この巻に登場する、木村義雄十四世名人、大野源一八段というレジェンドたちと、大内延介八段、板谷進八段、石田和雄六段、真部一男四段などの気鋭新鋭などがひしめいていました。
山口さんが書かれたように、将棋連盟は、「天才の栖(すみか)であり、鬼の栖であり、オバケの世界」だったのです。
飛車落ち戦を終え、手合いが角落ちに上がったとき、山口さんは、我がこと終われりと満足されたようで、プロ棋士を相手の角落ち戦に挑戦するのは、しばらく時間をおきたいと考えておられたようです。ですが、このシリーズは、単なる将棋自戦記を超えて、優れた紀行文学でもあり、波乱万丈の人物小説でもあり、さらに、将棋のまたとない教科書でもありまして(ですから、この正続二冊の『血涙十番勝負』は将棋が苦手の人なら、棋譜のところは飛ばして読んでも充分に面白くなっています)、「小説現代」での、大変な人気企画となっていました。
角落ち戦を早くやってくれというファンの声が澎湃として起こりました。中には、「山口瞳が負けに負けて、苦悩する姿を見るのが、人生最大の楽しみである」という過激派ファンレターも届きました。そういう『血涙十番勝負』の再会を待ち望むファンの声や、将棋連盟の棋士の人たちの熱意などに押されるようにして、山口さんはその重い腰を上げざるを得なくなりました。
この続篇の企画を、「小説現代」で担当したのが、編集者のミヤ少年でした。
山口さんは、紀行文やエッセイなどの同行者を、ドスト氏、スバル君、臥煙君、都鳥君、パラオ君、徳Q君などと呼んでいました。それは、内田百閒さんが、『阿房列車』という紀行随筆の中で、同行者を、ヒマラヤ山系とか椰子君と呼んでいたヒソミに習ってのことです。ミヤ少年の名付け親は、もちろん、山口瞳さんです。
さて、再開された、『血涙十番勝負』ですが、流石に、プロ棋士は、素人相手に角落ち戦では絶対負けたくないという気持ちが強く働くようで、有吉道夫八段、加藤一二三九段、板谷進八段、内藤国雄棋聖(九段)、大内延介八段、真部一男四段、塚田正夫九段、石田和雄六段、大野源一八段と九人を相手に、九連敗を喫しました。まあ、ご覧いただくように、錚々たる強豪揃いですから、この成績も無理もありません。
ちなみに、現在の将棋ブームの立役者である藤井聡太四段がプロになってはじめて戦って、勝った棋士が加藤一二三八段でした。加藤九段は、「神武以来の天才」と言われた神童で、棋界初の中学生のプロ棋士だったので、藤井四段はそれ以来の、中学生プロ棋士です。さらに、藤井四段は、加藤九段が持っていた史上最年少棋士記録(十四歳七ヵ月)を、十四歳2カ月という記録で破りました。そして、藤井四段にとって、プロ棋士のデビュー戦の対戦相手は、なんとその加藤九段だったのです。将棋の神様は粋なことをなさるものですね。その対局に勝った藤井四段の快進撃は続き、二十九連勝の新記録を達成します。その後の加藤九段は、最高年齢での公式戦勝利など果たしましたが、現役棋士を引退、「ヒフミン」と呼ばれて、独特の早口と純粋な人柄とで、若い人たちのアイドル・タレントになっていることは、ご存知の通りです。
その加藤一二三九段との「血涙」対決は、一九八三年七月二十六日、青梅市の「坂上旅館」で行われます。その対局と、山口瞳将棋一門の浴衣(ゆかた)温習(ざらい)を兼ね、タレントの大橋巨泉夫妻、競馬評論家の赤木駿介さん、脚本家の安倍徹郎さんなどが参加しました。加藤九段は、この一泊旅行に、気軽に参加してくれて、おまけに、旅館では、指導駒落ち戦を何局も付き合ってくれた上、対局のあとも、笑顔で、丁寧に感想を伝えてくれたのです。そのときの駒の扱い方一つからも、ミヤ少年は、加藤九段の将棋への深い愛情を感じました。
そして、山口さんが、加藤九段の「対局態度は終始立派で、ただただ圧倒されるばかりであった」と書かれている通り、いざ、翌日の対局となると、加藤九段は、その温顔を一転させて、厳しい顔に変え、正座を崩すことなく、いまの「ヒフミン」のイメージとは大分違って、いかにも棋界を代表する棋士らしく、威風堂々たる態度でした。
さあ、九連敗のあと、残る相手は、「天下無敵、木村義雄十四世名人」です。「名人戦」を頂点にする、現在の将棋界を作り上げた偉大な棋士です。歌謡曲「王将」の坂田三吉と、京都南禅寺で、有名な「南禅寺の決戦」と演じた棋士であります。「名人戦」を頂点とした現代の将棋界を完成させた功績者です。最終戦に、その木村義雄十四世名人を指名してしまったのですから、成績は絶望的にならざるを得ません。
しかし、奇跡は起こりました。山口さんが、この難敵に対して、妙手を連発、木村十四世名人に勝ちをおさめたのです。感動の大団円が用意されていました。将棋の神様は、またも、粋な計らいをなさったようです。
この『続 血涙十番勝負』が、ミヤ少年にとって、宝物となっているのは、このシリーズ最終回の「天下無敵、木村義雄十四世名人」に、ミヤ少年が、作家の野坂昭如さんご夫妻の媒酌で挙げた結婚披露宴の一部始終と、そこに漕ぎつけるまでの少年の苦難の足取りが書かれているからであります。対内藤国雄戦の前日、神戸元町を散歩しているときに山口さんが見立ててくれたシャネルのスカーフが、彼女の心を動かしたのでした。彼女は、こんなにまで山口さんに愛されているミヤ少年なら、一生を託しても大丈夫だと確信したのです。つまり、『続 血涙十番勝負』は、ミヤ少年の「 家族(ファミリー) 」の事始めになっているのです。

ミヤ少年がいただいた『続 血涙十番勝負』の署名本の表紙の見返しには、こういう俳句が、墨痕淋漓と書かれています。

春山の 花咲かぬ木の 美しき

しかし、山口さんは、『続 血涙十番勝負』では、たった一輪ではありますが、美しい花を咲かせたのであります。

宮田昭宏
Akihiro Miyata

文芸編集者。1968年講談社入社。「小説現代」と「群像」編集部を経て、1982年に
文庫PR誌「IN☆POCKET」の創刊編集長、「小説現代」編集長、文芸局長を歴任。
山口瞳の担当者として、『血涙十番勝負 正続』をはじめとして多数の作品を手掛ける。

おわりに

合計20回に及ぶ“死闘”に立ち会った宮田昭宏氏が語る、山口瞳の将棋真剣勝負は如何でしたか?

『血涙十番勝負』『続血涙十番勝負』はP+DBOOKSから絶賛発売中です。

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