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【まずはここから読みたい】現代若手詩人の詩に触れられる、4冊の本

現代詩に興味はあるけれどあまり詩集は読んだことがないという方に向け、最果タヒ、井戸川射子など、若手の現代詩人によるおすすめの詩集や、現代詩の味わい方のヒントを教えてくれるような本を紹介します。

近年、若い詠み手や読者が増えたことで、現代短歌や自由律俳句はじわじわとブームになりつつあります。しかしそれでもなお、現代詩にはどこか難解なイメージがあり、自分からはあまり詩集に手を伸ばしたことがない……という人も少なくないのではないでしょうか。

今回は、「難解」「どうやって味わえばいいかよくわからない」といった現代詩へのマイナスイメージを取り払ってくれるような、若手の現代詩人によるおすすめの詩集や、現代詩の味わい方を教えてくれる良書を4冊選りすぐってご紹介します。

はぐれてしまった詩との絆を取り戻せるような1冊──『今を生きるための現代詩』(渡邊十絲子)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B00DKX4C0S/

『今を生きるための現代詩』は、『Fの残響』『千年の祈り』といった詩集の代表作を持つ詩人・渡邊十絲子としこによる、現代詩の味わい方のヒントを教えてくれる1冊です。

渡邊は本書の序章で、“現代詩とはぐれたのは、いつですか”と問いかけます。1980年代頃までは、アパレルブランドや化粧品会社といった大企業が広告に詩を起用することもしばしばありました。しかし2000年代以降は、多くの読者と詩との接点が薄れ、いつの間にか詩は“難解で、縁のないもの”になってしまったと渡邊は説きます。

もともと、日本人は詩との出会いがよくないのだと思う。
大多数の人にとって、詩との出会いは国語教科書のなかだ。はじめての体験、あたらしい魅力、感じとるべきことが身のまわりにみちあふれ、詩歌などゆっくり味わうひまのない年齢のうちに、強制的に「よいもの」「美しいもの」として詩をあたえられ、それは「読みとくべきもの」だと教えられる。そして、この行にはこういう技巧がつかってあって、それが作者のこういう感情を効果的に伝えている、などと解説される。それがおわれば理解度をテストされる。
こんな出会いで詩が好きになるわけないな、と思う。(中略)詩を読むときの心理的ハードルは、こうして高くなるのだ。

そんな前提があるからこそ、詩との出会いは“意味などわからないまま、ただもう格好いい、かわいい、おもしろい、目が離せない”というようなものであってほしい、と渡邊は言います。だからこそ本書では、谷川俊太郎の『生きる』といった有名な詩のほかにも、黒田喜夫の『毒虫飼育』、井坂洋子の『甲虫』といった、わからない(意味の解釈がしづらい)けれど格好いい詩、読み応えがある現代詩を多数引用しながら、それらの詩の技巧や背景にまつわる解説・解釈ではなく、味わい方の一例を提示するような紹介がされています。

国語のテストでたびたび問われる“作者の伝えたかったこと”なんて考えなくてもいい、わからなくてもいいと渡邊は言い切ります。現代詩に興味はあるけれど、詩を読み解くことに高いハードルを感じてしまっているという人にこそまず手にとってほしい、“解釈”から自由になれるような1冊です。

注目を集め続けている詩人の第8詩集──『夜景座生まれ』(最果タヒ)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4103538112/

『夜景座生まれ』は、詩人の最果タヒが2020年に発表した最新詩集です。

2007年に第1詩集『グッドモーニング』で鮮烈なデビューを飾った最果は、その後15年以上に渡り詩や小説の発表を続けています。第3詩集『死んでしまう系のぼくらに』は現代詩集としては異例の3万部を売り上げ、詩を使ったシューティングゲームや「詩のホテル」といった新しい詩の展示・鑑賞のアイデアを考案するなど、最果は常にその最前線で現代詩の可能性をアップデートし続けてきました。

キャッチコピーや歌詞のワンフレーズのように耳馴染みのいい言葉遣いを特徴とする最果の詩は、現代詩にあまり馴染みがない人が初めて手を伸ばす詩集としてもおすすめです。

どうしても会えない気がして、走って、走って、そういえば誰に会いたかったんだっけと気づいて、それでももうとまり方がわからない。
──『天国手前』より

最果の詩には、自分の身に覚えがあることもないことも含めて、凄まじいスピードで眼前を過ぎ去っていくような疾走感があります。それでいて、書かれている内容はとても切実で、生々しい痛みや切なさを感じさせます。

かなりの生理痛。血の痛みではない痛み、血には痛点がない、いつも肉の方が痛い、わたしはでも血のことを考える、血のように無痛の中にいたいと思う、無痛の中で流されていく中にいたいと思う、血の中から生まれるとき、血はわたしの方を見ていただろう、自分の一部であるはずのものが、生まれようとするのはどんな感覚だろうか、血でなくなった途端に痛くて仕方がなくなるよ。それは見送るんだから。かわいそうでならないよ。
──『海み』より

『夜景座生まれ』には40以上の作品が収録されています。そのどれもが深みのある詩でありながら、同時に、好きなところだけを気軽につまんで読めるようなポップさ・ライトさも持ち合わせています。エッセイや詩の展示などで最果の作品を知り興味を持ったという人にもおすすめしたい、詩人・最果タヒの真髄を味わうことができる1冊です。

「いま、ここ」の手触りを感じさせる──『する、されるユートピア』(井戸川射子)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/479177194X/

『する、されるユートピア』は、2018年に詩人・井戸川射子が発表した第1詩集です。井戸川は高校の国語教諭として勤務しており、現代詩を生徒に教えることの難しさに直面して「自分で詩を書いてみよう」と考えたことから詩作を始めた、と文芸誌のインタビュー等で語っています。井戸川は本作で、優れた現代詩集に贈られる第24回中原中也賞を受賞しました。

本書には、22の短い詩が収められています。そのどれもが母の死というテーマを扱っていながらも、死の恐ろしさや哀しさ、やりきれなさは直接的には描かれていません。作中主体は“ぼく”という名の人物であり、どの作品においても、実際にそのできごとがすぐ目の前にあるかのように、手触りを感じさせる言葉だけで詩は進みます。

学校、うん、教室にいるとぽつんと、一つの島に一人ずつがいる気持ちになる、それがきれいな島ならいいけれど。

橋は二車線、武庫川が近くと遠くに続いて。母の入院している病院は、大きいから川沿いから簡単に見えてくる。たどり着くまでの歩道橋はらせん、一回転半、深呼吸したのを覚えてる。手すりは下が柵になっていて、そこに白いカスや綿毛がたまる。軍手か何かはめて、指一本文のすき間、す、と絡めとりたい。中指の太さがちょうど良く、軍手はきっと、あみ目に空気といろいろを取り込むだろう。売店はにぎわっていて病院の、たぶんここが一番楽しいところ。パジャマじゃないからみまい客の子どもが走っていて、それくらいしか判別できるものもない。
──『川をすくう手』より

向かいの子どもが、念のため急ぐ、と叫んで帰りの乗り場へ駆け出す
念のためだって、と笑ってぼくも走る

抱きあっても首まわりにすき間はできる、それが何だ
知っている、文章では不十分だ
ロープウェイの手すりにもたれかかると、
さっきの子どもがワワワワ界に行く!と言い耳に手を当て小刻みに叩き、ワーと声出す
ぼくもそこ行ったことある、でも違う音がしてるだろうな、手のひら同じでないものな
──『発生と変身』より

井戸川の用いる言葉はどれも平易でありながら、誰しもが感じたことのある懐かしい身体感覚やさみしさ、人と人が関わることのままならなさを呼び起こさせます。読み返すたびにはっとする表現に出会い、何度もページをめくってしまうような詩集です。

世界の“浄化”を気高く、美しく描く──『ウイルスちゃん』(暁方ミセイ)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4783735905/

『ウイルスちゃん』は、若手現代詩人・暁方あけがたミセイが2011年に発表した第1詩集です。暁方は本作で第17回中原中也賞を受賞しました。

暁方の詩からは一貫して、死や滅びの気配が感じられます。詩に用いられる言葉はどれも気高くて美しく、意味を読み取るのは難解ですが、文字を眺めているだけで景色が次々と開けてくるような壮大さとカタルシスがあります。

盆の日は、ゆらゆら
一列に並んで遠ざかれ
とりもなおさず陽炎、
眼奥で
遠ざかるのは秋へだ、秋へ
列車がしずかに
走っていった

濃紺の制服を着た駅員さんが
ふいに
わたしの鞄の中身を尋ねることを
なんども
考えていた
「まなざしです」
「鞄の中身は、死んでしまった少女のまなざしです」
──『スーイサイド』より

(ひと
        の音が遠くでしている。しゅうしゅうお湯が鳴っていた……
保健室の椅子で熱を測っていた。
埃っぽい窓枠は光で輪郭を失っていた。
ウイルスが
ひとをみんな食べてしまうんだと思った。
ウイルス、きみたちには
再びと
こんな歴史がやってきませんように。
──『埋め火』より

詩人の井坂洋子は、本作の栞で、暁方の詩は“自分や世界が浄化されること、消滅への恐れと憧れ”に裏打ちされており、情動の中には自己破壊や死の衝動も混じっていると評しています。高潔で透き通るような言葉はすこしとっつきにくく感じるかもしれませんが、現代詩をすこしずつ読み通すおもしろさや喜びを教えてくれるような1冊です。

おわりに

現代詩を読む上での一番のハードルは、言葉の意味が掴みきれず、“わからない”ままに行が進んでいくことへの恐怖かもしれません。しかし詩人の渡邊十絲子は、『今を生きるための現代詩』のなかで、“ほんとうは詩人だって、人の書いた詩をそんなに「わかって」なんかいないのである”と述べています。

美術商が通りすがりの画廊にかかっている絵を見て「眼鏡をはずして見たほうがいい絵に見えるなあ」とつぶやく。
ファッション記者がパリコレクションを見に行き、連れに「ねえねえ、折り返しの縁のところだけ青いの見た? あれかわいかったよね」と話しかける。
そういうちょっとした魅力のとっかかりは、無数にある。

つまり、どのような鑑賞の仕方であれ、自分が「魅力的だ」と思った感覚を信じていい──と渡邊は言うのです。現代詩を味わうヒントは、このような柔軟で既存の枠組みにこだわらない姿勢のなかにあるように思えます。

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